やるせなくも素晴らしき人生。


人生って、出会ったことのない

「じぶん」と日々であう旅なのかもしれない。

ひととのであいも

新たな「じぶん」との

出会いのためのものなのかもしれない。

確たる「じぶん」なんてものは

そんなもの、どこを探してもなくって。

ふたで覆い隠したくなるほどに悪臭を放ち

遠くへおいやりたいほどに

醜い「じぶん」を知り

途方に暮れてしまう日もある。

立ちくらみをおこすほどに

まばゆい神々しい光をはなつ

女神のような「じぶん」をかいま見て

おもわず、目頭が濡れてしまうことだって。
金太郎飴みたいに

どこを切り取っても

おなじじぶんが出てくるわけもなく。

むけばむくほど

掘れば掘るほど

脱ぎ捨てれば脱ぎ捨てるほど
たまねぎのように

腐葉土のように

マトリョーシカのように
際限なく、新たな「じぶん」が現れる。
「じぶん」さがしの無意味さを思い知ったよ。

だって、きりがないのだもの。
最期を迎えるその1秒前でさえ

それまでの人生をすべて裏切るような

新たな「じぶん」との出会いがきっと待ってる。
そう考えるとね
目の前にいる、「じぶん」とは

ぜんぜんちがうと思っている「あのひと」も
いつかどこかのタイミング切り取った時の

ひとつのじぶんなのかもしれない。
そう

未来の「じぶん」なのかもしれない。
いや

いつかの「じぶん」なのかもしれない。
そう考えるとさ

「じぶん」と「あのひと」は

ずっとずっと繋がっているのかもね。
遠く遥か彼方に離れているようでいて
いつも「あのひと」が

「じぶん」の中にいるのかもしれない。

いつも「あのひと」のなかに

「じぶん」がいるのかもしれない。

だから

「じぶん」がじぶんを憎らしく思うように

「じぶん」がじぶんを愛らしく思うように
あのひとに向けている思いは

いつかの「じぶん」へ

未来の「じぶん」へ

もしかしたら今の「じぶん」へ

向けた思い。
あのひとを愛することができたら

おのずと

「じぶん」を愛するということの

ほんとうの意味を知るのかもしれない。
誰かを愛することができるという

新たな「じぶん」と出会えるのかもしれない。
そんなときに

この気だるくてやるせなくて

ときに放り出したくなる

素晴らしきこの旅を
もう少し続けてみてもいいかなって

思えるのかもしれない。
そうやって
泣きながら

笑いながら

呆れながら
やれやれと言いながら

前に進んでいけるのかもしれない。

[ やるせなくも素晴らしき人生。 ]ポエム2017/08/02 11:05