我輩は運が良いのである。(字余り)

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ご機嫌麗しゅう。
我輩はChacoである。
名前はもうある。

わたしは今ひとり酔いしれている。
何にって?
もちろん自分にである。

声を大にして言おう。
わたしはとことん運が良いのである。

わたしの運が良いことを裏付けるエピソードをあげると
枚挙にいとまがなく、軽くタウンページ一冊分にもなるのだが
特別に今日わたしがまたしても痛感した運の良いエピソードを
皆には特別に聞かせてしんぜよう。

わたしの日夜取り組んでいる研究は、世界の常識を覆す国家機密であり
各国からの諜報活動から雲隠れするために、普段はOL(オフイスレデー)
として、制服を身にまとい職場で愛想笑いを振りまくという生活を
余儀なくされている。

そんなわたしが、今日の会社帰りに満員の電車でつり革につかまり
昼に食した「めざし定食」の美味しさを回顧していたところ
わたしの前に座っていた男性が、わたしの腹部を見てそわそわし始めたのだ。

「この落ち着きのない男め。日本男児たるもの…」

と、心の中で目の前に座する落ち着きのない会社員と思しき男に
一喝し始めたところ「どうぞ」
とその男は言い、わたしの顔も見ずに席を立ちそそくさと
隣の車両に行ってしまったのだ。

目の前の席が空いたからには、座るしかないと判断したわたしは
空席に腰を下ろし、またしても自分自身に心酔したのであった。

なぜなら、会社員と思しき男の眼前には
わたしの腹部が広がっていたのみである。

男は私の顔も見ていなければ、豊満なAカップの胸部も見てやしない。
ということは、わたしは腹部のみでその男性を魅了したということだ。
自ら暖めていた座席を、一目惚れした女に譲るという行為に突き動してまうほどに。

よほどの魅力を感じなければなかなかそんなことはできないだろう。
唐突に腹踊りをしてみせたわけではない。わたしの腹はただただ男の目の前に
横たわっていただけである。

もはや腹部のみで男を魅了してしまう罪な自分。
そんな自分の計り知れない魅力に酔いしれ恐ろしさすら感じたわけだ。

それに引き換え、職場の男性上司はその男の風上にも置けない。
「お、Chacoくん、もしやおめでた?ちょっとふっくらしたんじゃない?」
などと言ってくるのだ。

まったく。この上司にも件の男性のような紳士性と審美眼を身につけて
もらいたいものである。

おっと、わたしは自身の運が良いエピソードを披露するつもりが
わたし自身のそこはかとない魅力について語ってしまった。
これは運ではなく、紛れもない天から授かったギフトであった。失敬。

それにしてもわたしは運が良い。
今度こそそのエピソードをお伝えしよう。

先日、研究に没頭しすぎたため脳が糖分を欲し
手近にあった「パックンチョ」というチョコレート菓子に
手を伸ばした。
何気なく手にとって口に運ぼうとしたところ
円型のはずのパックンチョが違う形を成していることに気がついたのだ。
なんと、ハート型だったのである。

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他のものは全て円型だったが、わたしが見つけたものひとつだけが
ハート型であった。
わたしのなかにかろうじて存在する乙女の部分がハート型のパックンチョ
に共鳴し、その後小一時間ほどパックンチョとともにワルツを踊ったのは
記憶に新しいところだ。

そして、はっと我に返った。
わたしはハート型のパックンチョを見つけ、それはきっとものすごく
確率が低いと見積もったのだが、もしかして一箱に一つ必ず入っている
という話だったら、もうなんだかやりきれないと思ったのだ。ワルツの踊り損である。

もしそうであれば、研究をほっぽり出し、馴染みのマスターのいるバーのカウンターで

「マスタァ〜〜俺だってよぉ、俺だって世が世ならよぉ〜」
と泣きながら管を巻くわたしをちょびひげのマスターは黙って
グラスを拭きながら優しく見守る様が脳裏に浮かぶ。

恐る恐る真実と向き合うべく、わたしはインターネットで
「パックンチョ ハート 確率」
というこれ以上ない程に的確な検索ワードを用いて調べたところ…
なんと‼︎ハート型の出現確率は0・19%だというのだ‼︎

それが真実であればなんて運が良い‼︎

0.19%ということは…100個食べたら0.19個のハート型といわけだ。
…なんともわかりづらい。
それでは整数にするために小数点を右に一個ずらすと…えーと…
1000個たべたら1.9個、すなわち約2個のハート型と出会えるという
解が導かれるということか。
ということは一箱(20個)に換算してみると、50箱食べると2個、すなわち
25箱食べて1個のハート型????

笑うがいい!!数字にめっぽう弱い人間が
途方もなく遠回りな計算をする滑稽な姿を!!

25箱食べてようやくひとつのハート型である。
これを運が良いと言わず何を運が良いというのか。
年末ジャンボの一等前後賞当選並みであると自負する。

とにかくわたしは運が良いのだ。

…諸君。ここまで来て何か気がついたことはないだろうか。

わたしは先ほどから
「わたしは運が良い」と再三再四口にしてきた。

そう。

運が良いヒトとは
自分に起きた「運が良い」とおぼしき事柄を
「運が良い」ことと独断と偏見で認定したのち、
「我輩は運が良いのである」と口に出し、
 周囲に知らしめるヒト。

以上。

もう、本当にそれだけだと思うのである。

運が良いひとは、小さなラッキーでも過大評価して
「自分は運が良いのだ」と自分に、周りに言ってのける。

運が悪いひとは、ラッキーに遭遇した自分を過小評価して
「いやいや、たまたまだよ~。」
「ただのまぐれです~。」
ということにする。
もしくは、
そもそもそのラッキーに気がつかない。

どちらにも同じラッキーが訪れているのに、だ。

ただ、もうひとつ言えることは、
自分が「運が良い」(と信じ込んでる)
ひとは、人生のところどころで、自分の強運を信じ
無意識のうちに強気に選択・行動することができるので
知らない間にその点と点が結びつき、いずれ、「運が良い」どころではない
大きな大きな「ラッキー」が押し寄せてくる。

以上が、私の「運が良い」ひとについての考察である。

何か少しでもラッキーなことが起きたら、
その都度、
「私は運が良い」と言ってみるが良い。
続けているとどんどこラッキーが見つかるだろう。
そしてオモシロ美人へとどんどこ近づいていくことだろう。

ちなみに、わたしが500個食べて1個しかでないハート型に
出会ったことを嬉々として友人に伝えたところ、翌日
「わたしもハート型でたよーーー!」との連絡をもらい、
「奇跡のハート型0.19%説」に暗雲が立ち込めたが
それでもわたしはいい続ける。

我輩は運が良いのである。…きっと。(字余り)

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
いつ何時も「我輩は運が良い」と豪語せよ。

 
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[ 我輩は運が良いのである。(字余り) ]オモシロ美人メソッド2016/02/13 02:15