THE・ FUKAN SHOW ‼︎

phonto-11-2

ごきげん麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

それにしても、花粉症がひどい。
以前、「大嫌い」の作法。でもお伝えしたとおり
わたしは「風」というものを心底憎んでいる。

そして今年のわたしの目標はそんな「風」に「ぎゃふん」と言わせることであると
みなにはその大いなる野望を打ち明けたところであるが、なんと
「ぎゃふん」と言わせるどころか、風と花粉が、あうんの呼吸でわたしを攻撃し
わたしが逆に「ぎゃふん」と言わされ、ダウンしている状況である。

風と花粉の最強タッグには、もうお手上げである。

そんなわたしであるから、今年の目標は「前方後円墳を眺めながら、バフンウニに舌鼓を打ち
夜分にうふんとうっとりすること」に切り替えようと思う。

おっと、冒頭から多分な駄文を失礼。

さて、昨今、巷では「俯瞰する」ということの重要性が叫ばれているようだがわたしはこの
「俯瞰」というコトバの意味するところをどうやら長らくはき違えていた
ことが判明した。

俯瞰というと、「高いところから見下ろす」という意味であるから何か考えさせられる出来事に
直面した際に、「幽体離脱」の術を用いて己の身体より意識を引き離し、少し離れた上方から
自分自身を見下ろす
ということだと考えていたのだ。

なので、道場のようなところに通い、自身の「俯瞰力」に磨きをかけ挙げ句の果てには
あぐらをかいたまま宙に浮かぶことができるようになり
ひとびとから崇められ、集まったお布施
によって余生を過ごそうと考えていたわけだが
その夢は打ち砕かれたわけである。

諸君のなかにも、俯瞰力を身につけようと、必死に「幽体離脱」の習得に励んでいる者がいるかもしれないが
その努力は残念ながら俯瞰力の向上には繋がらないものの、霊術ショーの興行で小銭を稼げるかもしれない。
一考の価値はありだ。

それにしても、なぜ、わたしがこの度、「俯瞰」の意味を誤解していることに気がついたかと言うと
とある出来事に遭遇したことがきっかけである。

ーーーーー

その日も、オモシロ美人研究の一環として、このブログを執筆するためにスタバにやってきた。
そして、レジで、スターバックスラテのショートサイズを注文した。

ちなみに、どうして一番小さなショートサイズにしたかと言うと、わたしの懐が大海原のごとく
ラージサイズなため
せめて飲み物ぐらいは小さなサイズにしなければ、世間に対して
申し訳が立たないと思ったからである。

決して所持金がショートしていたわけでもなければ、わたしの頭がショートしていたわけでもないのは
もはや明白である。

そしてありったけの小銭をかき集めてなんとか会計を済ましたわたしは、店員に促されるままに
オレンジ色に近い黄色いランプの下で、
今か今かとショートサイズのスターバックスラテを待ち望んでいた。

そろそろわたしの番であろうと、順番を待っていたところ
「スターバックスラテ、トールサイズお待たせいたしました。」

というお声がかかった。

わたしはショートサイズであったため、「わたしではない」と認識をし、おとなしくしていたものの
周りを見渡しても
わたし以外に黄色いランプ付近に待機しているひとは見当たらない。
もしかしたら、ランプの色が黄色というよりはオレンジ色に近いので、本当の黄色いランプを求めて
トールサイズの注文者はどこか遠くに行ってしまったのであろうかという懸念が生じた。

そんなわたしの注文者の行方を憂う胸中を知ってか知らずか、バリスタのひとはわたしに
「お客様は、何をご注文ですか?」と尋ねてきた。
わたしは「ショートサイズのラテです。」と、一番小さなサイズを注文したことになぜか
バツの悪い気持ちになりながらも正直に申告した。

そうしたところ、バリスタの人々でボソボソと話をしたのち
「恐れ入りますが、レシートを見せてもらえますか?」とわたしに、レシートを提示するよう求めてきたのだった。

柴犬よりも従順なわたしは素直にレシートをバリスタに見せた。
やはりレシートにもショートサイズと記載がある。

レシートを確認し、またもバリスタのひとたちでぼそぼそと話したのち
「あの、ショートサイズをご注文頂いたのですが、今回は『特別』ということで…。」
と、そのトールサイズのカフェラテを渡してきたのだった。

なんと、わたしはショートサイズの金額で、トールサイズのカフェラテをゲットしたのである。


恐らく、注文がスタッフ間でうまく共有できていなかったのが原因と思われる。


この出来事だけ見るとわたしは非常に運が良く、「やはりもっているなぁ」と心酔したいところであるが
なぜかわたしは満面の笑みではなく引きつった無理やりの笑顔しか作れず
「あ…ありがとうございます…」
と蚊の泣くような声で礼を述べたのであった。


ラッキーなはずなのに、どうしてわたしの笑顔はひきつり、ナントも言えぬ悶々とした気持ちを抱えているのだろうか。

大いなる謎である。

わたしはその原因を探るべく、自分の心に尋ねてみたのだった。

そうしたところ、結果的にはショートサイズの金額でトールサイズをゲットすることができたが、その過程に
わたしは不満を抱いたようなのである。

わたしはショートサイズのカフェラテを注文し、言われるがままに黄色いランプの下でおとなしく
自分のラテを待っていただけである。

通常であれば、自分の注文物が呼ばれ、飲み物を受け取り、「お熱いのでお気をつけください」という
暖かい気遣いを頂いたのち、意気揚々と自席へと戻り、ブログを書き始めるところであるが
この日は、いつもより少々待たされて、注文物を尋ねられ、レシートも見せるように言われ
内心「なんだよ」と思いながらもランプの下で待っていたところ、最後には「今回は特別に…」という
何となく上からの目線を感じるような言葉とともに大きいサイズのコーヒーを手にしたというわけである。

「本当はショートサイズを注文したお主ではあるが、今回は特別にトールサイズを遣わそう。
ふぉっふぉっふぉっ!苦しゅうない。近うよれ。」

最後の一言は、そんな殿様より、特別に褒美を頂いたような感覚を覚えた言葉に感じたのであった。

というわけで、一連の流れと自分の心の動きを顧みたところ、

わたしは注文し、いつも通りおとなしく待っていた。
→いや、むしろいつもより待たされた。
→そして普段はしないレシートを見せるという行為も行った。
→どうやら、先方の不注意によって図らずも違うサイズを作ってしまったようだ。
→にもかかわらず、待たせた謝罪を述べるでもなく、「今回だけ特別である」と、
 字面だけ見ると、何だかわたしが悪いことをしたような気持ちにさせられる上から目線の言葉を言われた。

→よって、得をしたのに、悶々とした気持ちになった。

以上のことが理解でき、「だからわたしは少し苛立っているのだな」と苛立ちの理由を明確にすることができた。


理由が明確になっても、そのちょっとした苛立ちが収まるわけではなかった。
しかしながら同時に、焦っていた当該のバリスタのひとに思いを巡らせる自分がでてきたのであった

「そういやわたしも、焦っている時に、本意ではない言葉を発して誤解を与えたことあったなぁ…。」と。

そのバリスタのひとが横柄な態度であったらまた違ったのかもしれないが、決してそんなことはなく
行き場を失ったトールサイズのカフェラテをどうしようかと、一生懸命な様子は十分伝わってきていたのである。


最後の言葉も、きっと、殿様気分の上から目線ではなく、「申し訳ない」という気持ちを込めてはいたのだが
懐がショート…ラージなわたしに伝わるような言葉を、瞬時に選べなかった。ただそれだけなのだろうな
と思ったのであった。

それでもそのほんの少しの苛立ちは全ては消えないものの、「まぁこういうこともあるね。」と
その出来事を受け入れたと同時に、ピンときたのである。


これがみなのいう「俯瞰」なのでは。と。


「俯瞰」というと、その言葉の通り、自分と自分を取り巻く人々や状況との関わりを
幽体離脱のごとく映画やショーを見るように、第三者の目線で捉えるということだと信じていた。

そして、わたしは何となくその感覚がうまくつかめず、俯瞰力がまだまだ足りていないように感じていたのだが
「俯瞰」とは、むしろ逆に

ずんずんと自分の中に入っていき、自分の心の動きを丁寧に紐解いていくこと」

なのでは、と。
その丁寧な過程こそが、自分を外側から眺める「俯瞰」という行為に繋がるのでは、と感じたわけである。


そして、この行為を丁寧に行うことで、何が起きるかというと、現在というより、
来る未来に変化を及ぼすと思ったのだ。


今回、自分の心の動きに着目して、最後には全容を理解できたわたしであるが、その時の苛立ちの感情に
変化があったかというと正直、嘘になる。
納得はしたものの、なんとなく悶々とした気持ちは、当分の間消えなかった。(単に根に持つタイプなのか。)


しかしながら、もし今後似たようなことが起こった場合、恐らく先回りして
「このひとのこの言葉は真意に沿ったものなのか」と、
今回よりも早い段階で「問い」を
もつことができるだろう。
そうすることで、以前に比べ自分の想像力に奥行きが生まれると思うのだ。

ということは、闇雲に苛立つことで感情が左右されることも少なくなる。
要は、想像力が高まることで、自分の気持ちを自分で上手にコントロールできるようになると思うのだ。


「俯瞰する」とは「外に」「外に」ではなく「内に」「内に」向かい一つづつ心の扉を開いていくことで、気がつけば外に出ていて、広野に立ち全体を見渡すことができる自分に出会う。ということ。

これが、わたしが行き着いた「俯瞰」についての一考察である。


「俯瞰」を幽体離脱のごとく難しく考えていたわたしであるが、要は「自分の心と向きあうこと」なのだと
ごくごくシンプルな真理であることを、今回の大好きなスタバでの小さな出来事によって気づかされたのであった。


というわけで、自分の心に「不感症」になることなく、「俯瞰」をショーのように難しく捉えることもなく、淡々と自分の心と向き合っていくことを、ただひらすら心がけていきたいものである。


そんなわけで、「俯瞰の仕方」をどうにか習得したわたしは、今後は今年の真の目標達成に力を注ごうと思う。


どなたか、美味しい「バフンウニ」が採れる漁場のそばにある「前方後円墳」をご存知の方がいたら
どうか上から目線でも良いので、教えてに来てほしい。
わたしは、オレンジに近い黄色いランプの下であなたからの朗報待っているから。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
「俯瞰」は外から観るショーではなく、自身の内側を巡る旅である。

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[ THE・ FUKAN SHOW ‼︎ ]オモシロ美人哲学。2016/03/11 02:20