「大切」を大切に。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

もし、

「人生において大切にしていることはなんですか?」 


と、アメリカのforves誌の「世界で最も影響力のある人物」のひとりに選ばれて上記のようなインタビューを受けた暁には、わたしは眉をいったんひそめ、質問を反芻するかのように小さくうなずき、冷めかけたコロンビア産のエスプレッソをゆっくり口に含んだ後、「ふっ」と右口角を上げ意味深に笑ったかと思いきや、「ふぅ」と小さくため息をこぼしたのち、遠い目をしてこう答えるだろう。

「笑い…ですかね。」

固唾を飲んで見守っていた取材陣たちは、その答えを聞いて、一斉にスタンディングオーベーション。ブラボー!と皆口々にわたしを褒め称え、中には感動で、目に涙を浮かべるひとも。

カメラマンも目が涙でにじみ、「へへ、視界が滲んで、写真がうまくとれねえぜ!」と言いながらも、長年培ってきた勘を頼りに、目の前のとてつもなく影響力のある人物を撮影できる喜びに心震えながら、シャッターを押し続けることだろう。

そして、そのあまりの影響力に失神したり、その半端ない影響力によって湿疹が出たりするひとも続出するかもしれない。

このように、「世界で最も影響力のある人物の一言は、こんなにも影響力があるのか」と影響力溢れるわたしを前にみなひれ伏すことだろう。

表紙は、さしずめ、FaceBookの創業者で旧知の中、マークとわたしが肩を組んで、サムアップしている写真あたりになると思われる。

そんなマークの首筋にわたしは小さな湿疹を見つけてしまうのではないかと危惧してしまう。
そしてわたしはマークほどの影響力のあるひとであっても、わたしの影響力を前にすると、その類いまれない影響力にダメージを受けてしまうことにショックを受けつつも、これが影響力のある者の宿命なのか…と己の背負う影響力を半ば恨んだりするのだろう。

「…ん?なんだねわたしの可愛い助手よ。ここに来る前に野原でうるしの葉をべたべた触って遊んでたからじゃないか、って?…だ、だまりたまえ!」

とにもかくにも、わたしは笑うのが大好きだ。
諸君の中にも笑うことが好きだというひとは多いだろう。

もうできることなら、一日中笑っていたいと思うほどである。

これは「笑顔でいる」というのとは違い、「本気で腹を抱えて笑う」ということである。

本気で腹から声を出して笑うので、天使の微笑を常にたたえるというのとは違い、見る方にとってはそんなに美しいと感じるものではないだろう。
むしろ醜く映るのではないか。

密かにわたしに恋心を寄せてくれている人物がいたとしても、わたしが膝を打ち、体を大きく上下させて、大口を開けて大笑いしているのを目の当たりにしたら、百年の恋も冷め、下手したら翌日から口をきいてくれなくなるかもしれない。

そんな懸念を抱きつつ、わたし断腸の思いで「笑い」の方をとり、切なさを抱えつつも笑い続けることだろう。

それほどまでに、わたしが笑いにかける情熱は凄まじいものがある。

時に、本だったり、お笑い番組だったり、笑いの趣味の合うひととの掛け合いだったり、突如仲間と繰り広げられる寸劇だったり。

様々なカテゴリにおいて笑う機会を作り、隙あらば笑ってやろうと、虎視眈々とその機会を伺っている。

「笑う門には福来る」

こんなことわざがある。
笑っているひとのもとには幸福が訪れるよ、という意味であるが、わたしは少し違うと思うのだ。

わたしにとって、笑うこと、そのものが、もう「福」なのである。
笑っているから福がくるのではなく、笑い自体が福の神なのだ。

というのも、本気で「笑う」ためには、態勢、すなわち笑う本人の「良いコンディション」が必要になってくるからだ。

わたしにとって、「笑うことができる」それこそが、幸せの象徴なのである。

なぜなら、わたしが以前、毎日辛くて辛くてたまらなかった仕事に従事していた時には、本気で、心の底から「笑う」ことができなかったし、そもそも「笑おう」と思う気力が湧かなかったものだ。

諸君もそうではないだろうか。

「元気にならなきゃ」と、好きなコントなどを観てみたり、何か目の前に面白い事象が繰り広げられていたとしても、心に何かひっかかりがあると、本気で笑うことができないことに気がつく。

だから、今ももちろん、悩むこと、不安なこと、様々あるが、「本気で笑う」ということができている現在、それらをひっくるめて、それでもわたしはとても幸せなのだろう、と改めて、自分の恵まれた状態や環境を「笑う」と同時にこれでもかと思い知らされるのである。

わたしは「笑い」を大事にするので、「本気で笑えているかどうか」を自分の状態のバロメータとしているが、ひとによって、それは様々かもしれない。

「美しさを味わうこと」を大事にするひとは、たとえば、カフェのテーブルに可愛く座する季節の一輪挿しなどの、なんてことない「日常」の一コマに、ふとした「美しさ」を見出し、心を動かすことができているか。

「おいしいものを食べること」を大事にするひとは、食事の際に、咀嚼するごとに、五感を使って、その「おいしさ」をじっくり噛み締めることができているか。もしくは、「おいしいものを食べたい」と心が欲するかどうか。

自分の大切にしていることを大切にできているか。

そして、大切にしていることを大切にできること、その状態、環境こそがもうすでにかけがえのない幸せなのだと、最近は痛感する日々なのだ。

わたしにとって、このブログもそう。
このブログを書くことそのものが楽しいし、楽しんで書くことができている現状に幸福を感じている。

楽しく、時には苦しみながらも文章を書き、好きな写真をピックアップし、加工して、フォントを選び、色を選び、ひとつひとつ大切に記事を積み上げていく。

そして、自分が楽しんで作っているものに対して、面白いといってくださるひとがいる。

本当に幸せだと思うのだ。

そして、わたしには、自分の中に叶えたい夢や目標がある。

しかしながら、ただひたすら苦しんで、自分が一番大切にしている「笑い」を楽しめない状況でその夢を追いかけても、そもそもその苦しみに満ちた日々が幸せではないし、その状態で作り出されたものに、おそらく自分は納得できないであろう。

そして、苦しみによって生み出されたものを維持するのは、やはり苦しみでしかないと思うのだ。

だから、常に「自分は本気で笑えているか」。このことを自分に問いつつ、自分の良い状態を保ちながら、楽しみながら日々を送っていきたいと思っている。

何故なら、その積み重ねとその良好な状態こそが、自分にとってのベストパフォーマンスを発揮できると信じているから。

諸君にも、自分自身の「大切」をぜひ大切にしながら、絶好のパフォーマンスでもって人生を謳歌してもらいたいと思っている。

とても月並みながらも、最近、本当に実感していることなので、言葉にしてみたまでである。

なかなかの月並みな投稿なので、「ツキナミーChaco」という芸名で、ワイドショーの名物コメンテーターにでもなってやろうかとも思えてきた。

言うことが月並みなだけに、外見だけでも月並みではないものでなくてはならないと、ピンクのかつらに、星形の大きなサングラスをつけて、真っ黄色のパンツスーツを着用しよう。

そして、ツキナミーが月並みなコメントを述べると、アナウンサーから、
「ツキナミーさん、今日も月並みなコメントありがとうございます!」
という皮肉を込めた感想を述べられ、わたしがそれに対して毎度大きくずっこけて、星形のサングラスがズレるというのがお決まりのやりとりとなる。
そして、視聴者の間でそのやりとりが楽しみでたまらないということで、「高視聴率番組」となり、サングラスにオールバックの人物が司会のあの番組を凌ぐほどの、ご長寿番組となること請け合いだろう。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
自分の「大切」を大切にできているかが、幸せのバロメータなり。

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[ 「大切」を大切に。 ]オモシロ美人哲学。2016/05/02 00:51