好きなひとに好かれ隊。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

唐突であるが、諸君は、他人に好かれたいと思うだろうか。

わたしは、好かれたい。
あぁ、大いに好かれたいさ、わたしは。
好かれに好かれ、もう「好き」でお腹いっぱいってぐらいまで好かれて
好かれ疲れるくらいに、もうスキあらば好かれたいと願う人間である。

好かれるためなら嫌われることもいとわないほどだ。

なんなら、「みんなに好かれ隊」という遅咲きのアイドルユニットを結成し
「スカーレットChaco」という芸名にてセンターを常にKeepしたい。

出す曲出す曲好かれ、スポンサーにも好かれちゃってドラマに映画にCMに大忙しである。

そんなみんなに好かれるアイドルだから良い年齢なくせに恋愛禁止令が発動されてしまい、
「みんなに好かれるわたしだから、特定の人を好きになってはいけないんだ…。
うん…。そうだよね。元気出せ!わたし!」

と、舞台袖でそっと涙を拭い、「スカーレットさん出番です」というスタッフの声がけを合図に
わたしを好きなみんなの待っているステージに飛び出すのである。

そんなみんなに好かれながらも、好きなようにひとを好きになることができないという
ジレンマを抱えるアイドル気分を一度は味わってみたいものだ。

そう。嫌われるぐらいだったら、好かれたいと思うのが人情であり
好き好んで嫌われようとするひともなかなかいないだろう。

ここで、質問である。

あなたに好きな人はいるだろうか。

家族でも、友人でも、会社の同僚でも、もしくはアイドルでも、ミュージシャンでも。

様々なカテゴリにおいて、また、程度の差こそあれ、あなたが「好きだ」と思い、好印象を抱いている
ひとがいるだろう。

そして、今思い浮かべてもらった家族や友人、会社の同僚等は、
相手もあなたを知っている人物であろう。(恋人については今回は除外する)

では、まず、「相手はあなたのことを知らないが、あなたが好きな人(アイドルやミュージシャンのような有名人)」は置いておいて、「先方もあなたを知っている、あなたが好きな相手」について考えてみてほしい。

その相手にあなたは好かれているだろうか。


ひとりひとり思い浮かべてみてほしい。

その中に、「あなたは好きなのに、相手はあなたのことが好きではない(とあなた自身が思っている)」
というひとはいるだろうか。

もし、この質問で
「ハイ!センセイ!ジブンは全員に嫌われているであります!」

と、元気よく手を挙げてくれるような人物がいたら、わたしはそんな彼、または彼女の
「たとえ相手に嫌われようとも、好きを貫く強靭な精神」を賛美し、称え、
たとえ全員に嫌われていたとしても、せめてわたしでよければ好きになってあげたいと思う。

しかしながら
「ハイ!センセイ!センセイに好かれてもジブンはセンセイが嫌いであります!」
と、一見礼儀正しいように聞こえるが非常に礼を欠いたひと言を言われた暁には、
みんなに嫌われるやつにすら嫌われるという大いなる屈辱を味わうことになり
「軽々しく好きなってやるなんて言うんじゃなかった…。」
という後悔の念に苛まれるであろう。

同情でひとを好きになるもんじゃない。

どうだろうか。
あなたが好きなひとを思い浮かべてみてもらうと、あなたが好きなその人たちもあなたのことを好きであったり、お互いに良好な関係を築けているのではないだろうか。

そうなのだ。

ひとは自分を好きでいてくれるひとを好きになる生き物なのだ。

どちらからともなく、どちらかに好印象を抱き、その好印象が伝わって
一方も相手のことを好きになる。もしくは同時に惹かれあい、好きになる。

なかなか、自分のことを嫌っているひとを「それでも好き」と思えるひとはいないだろう。
また、「自分のことを好きだと思ってくれているひと」には、基本的に好印象を抱くだろう。

(しかしながら、例外はあって、どんなに相手に好かれても、生理的に好きになれない場合もある。
もうこれは仕方ない。「生理的に」というのは「本能」と通じるので、わたしたちの理性では
どうすることもできないのだ。これは好きになるのも、好かれるのも諦めよう。
しかしながらこれは稀なケースであることも覚えていてほしい。)

というわけで、
相手に好かれたければ、まずは相手を好きになれば良い
という仮説が導き出せる。

しかし、相手が自分にとって魅力的で、好かれたいと思えば思うほど、
「好き」という態度を全面に出すのが
恐くなってしまい、空回りをしてしまう場合がある。

本当は惹かれているのに、仲良くなりたいのに、嫌われるのが恐くて、自分から相手を嫌いになってしまう…
いや、「嫌い」だと自分に勘違いさせる場合もある。傷つかないために自ら予防線を張ってしまうのだ。

その場合は、「もし、相手が自分を好きだったら…」と想像してみるとわかりやすい。
ほとんどの場合は、自分で自分を恐れから嫌いにさせていたことに気がつくだろう。
本当は好きなのに、だ。

しかしながら、わたしが今回言いたかったのは、
「ひとに好かれたいなら、まずは自分からひとを好きになりましょう」
なんていう至極当たり前のことではない。

わたしはこう思うのだ。
自分が相手を好きになれば、相手は自分を好きになってくれる。
要は、ひとに好かれるか否かは、自分自身のさじ加減でどうにでもなるのだ。

ひとに嫌われるのを恐れる場合、その視点は「相手目線」になっている。

相手が自分の手の届かないところで、自分に対してジャッジをくだし、
あなたはそれを言われるがままに受け入れるしかないと思っている。

違うのだ。
相手に好かれるどうかは、あなたが自身が決められることなのである。
簡単にコントロールできることなのである。
だって、あなたが相手を好きになりさえすれば、相手もあなたを好きになってくれるのだから。

だから、良いじゃないか。
相手に好かれるかどうかはあなたが主導権を握っているのだから
そもそも相手に好かれているかどうかで悩むことがナンセンスなのである。

その主導権を相手が持っていると思うから、自分の価値に疑問を持ってしまい

自分を責めてしまうのだ。
いざとなれば、あなたは相手を好きにさせる力がある。
そう、誰にでも。

だから、自分が好かれているかどうかで悩む必要なんてなく
たとえ、好かれていない相手がいたとしても、
「わたしがあんたを好きにさせてあげていないだけなんだからね。」
ぐらいに高飛車なツンデレ女よろしく思っていれば良い。

あなたのすべきことは、とてもシンプルなのだ。

あなたが好きだと思う相手、すなわち好かれたい相手に

あなたの好きを全面的に開示してぶつかっていけば良いのだ。
人間は好きあう生物なのだから、きっと相手もあなたのことを好きになってくれるだろう。

(※恋愛における「好き」は上記とは少しアプローチが異なるので、機会があればまたいずれ。
しかしながら、わたしが教え諭せるような恋愛をしてきたかは甚だ疑問であるので
その機会があるかは神のみぞ知るところである。)

そして、あなたのことをあまり好ましく思っていないひとがいたら、
「相手にとってあなたがどうこう」ではなく、
「あなたにとって相手がそこまでの存在ではない」ということ。

すなわち、
あなたにとってのその相手は「あなたを好きにさせる」労力を捧げるほどの相手ではない
ということだ。

忘れないでいてほしい。
周りの人間関係は実はあなたが主導権を握っていて
その気になれば、あなたの思うとおりの関係を築くことができる。

だから、安心して、自分が好きだと思うひと、仲良くなりたいと思うひとだけに
素直に集中しよう。

人生は長いようできっと短い。
そこまで思えないひとに「自分が好かれていないのでは」なんていう不安を抱いている時間はないのだ。

ちなみに、相手はあなたのことを知らないけれど、あなたが好きなひと、
例えば好きなアイドルやミュージシャンなどの有名人であるが
これは日常の人間関係において生じる「好き」の類とは異なる。

相手は人間であっても、そこに「関係」は生まれていないのであるから
あなたが好きな「趣味」等と同様、ある意味「物」である。

例えば、あなたは「花」が好きとして、花を美しいと感じる時、その花に自分が好かれているかどうかなんて考えないはずである。

「ねぇ・・・美しいサオトナバナよ。あんたの花言葉は、「人嫌い」、「誤解を解きたい」

らしいけれど、わたしのことは嫌い?・・・それにしても人が嫌いなのに誤解を解きたいって
どういうこと?矛盾していない?…そっか…「葉や茎に悪臭があることから屁屎葛(ヘクソカズラ)」ていう別名を付けられたんだね。名付けたひと、ひどいね。そりゃ、あんただって人嫌いにもなるし、誤解も解きたくなるわよね。」

なんていう会話を花と繰り広げるのは稀であろう。

というわけで、この類の「好き」は、この「好き」である気持ちを
ただただ味わい、楽しみ、自分で完結させよう。
このような相手に好かれようと体当たりをして、好かれない自分に落ち込む必要は
当たり前のことながらない、のは周知の事実である。

このように考えると、対象がおなじ「人間」でも、様々な「好き」の形
があるということを改めて考えさせられる。

何度も言うが、日常生活においてあなたがひとに好かれようとすることは
とても簡単なこと。だからこそ、好かれているかどうかという事実に翻弄される必要はない。

あなたの「好き」を大事にして、「好き」なひとと素敵な関係を築くことに専念しよう。

・・・とは言いつつも、みんなに好かれるというのも一体どういった感じなのか、
味わってみたい方は「みんなに好かれ隊」の一員としてぜひわたしとユニットを組んでみようじゃないか。

しかしながら、応募基準としては、「わたし以上に好かれない」というものがある。

何故ならわたしが常にセンターをkeepしたいからである。
わたし以上に好かれてしまっては困るのだ。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
人間関係の主導権は自分が握っている。だからこそ安心して自分の「好き」にわがままになろう。

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[ 好きなひとに好かれ隊。 ]オモシロ美人哲学。2016/03/23 00:35