Sit! 嫉妬! Shit!

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

「シット」というコトバが存在する。
そしてその「シット」には色々な意味がある。

まずは、「Sit」。

「英語」という、イギリスやアメリカ、カナダ、オーストラリアをはじめ
6大大陸で広く用いられている国際的な言語において「座る」という意味を
持つ言葉である。

この「英語」であるが、日本人には苦手なひとが多いとされている。
それは日本人のシャイで、完璧を求める国民性によるところが大きいとも言われているが、一番の大きな理由として、
教科書におけるその不自然な会話表現により、最初から知らぬ間に違和感とアレルギーを持ってしまっているから
ということはあまり知られていない。

「あれは、イスですか?」
「いいえ、あれはトムです。」

…トム、イスに間違えられる!!

質問者がイスと見まごうほどに、トムが見事なブリッヂでもしていたというのだろうか。

トムは、日本人に帰化して、「富男」(トムオ)と名乗り、体操選手としてオリンピックを目指していて、
暇さえあれば己の体の柔軟性の筋力の向上に徹しているとでもいうのか。

はたまた、質問者はトムを人間ではなく、人間様の座面を己の体全てを使って支えるイスぐらいがちょうど良い、
などと蔑んでいて、トムはイスではないことはわかったうえで、トムに対しての皮肉を言いたいがための質問なのだろうか。

Sit on a chair ならぬ、Sit on Tomである。
(tip on duoみたいだ。)

そうだとしたら、回答者は、もっとトムを擁護すべきだろう。
「いいえ、あれはトムです。」なんて平然と返答している場合じゃない。

「いいえ、あそこにいるのは、トムと言うアイダホ出身の青年です。アイダホというと日本ではじゃがいも
のイメージが強いですが、トムの家はじゃがいも農家ではなく、一般的なサラリーマンの家です。
そういえば日本においては、じゃがいもの国内自給率は年々下がっており、輸入量が増えてきている現状です。
これは由々しき問題ですね…。」

などと言って、日本におけるじゃがいもの自給率低下の問題とすり替えて、非難の矛先をトムから逸らしてやるべきだ。

トムは、アイダホの慣れ親しんだ故郷を捨て、日本の馬鈴薯を口にしては、アイダホの自然豊かな土壌で育まれた
じゃがいもを思い出し、懐かしさと寂しさにオイオイと涙を流す。

それでも、

「ボクハ、モウ、トムデハナクテ、トムオ。ニホンジントシテイキテイクノダ。」

と、日本人として生きていくと決めた自分に喝を入れ、奮い立たせ、富男としてオリンピックを目指し
今日もブリッヂに励むのである。いつかアイダホの地に金メダルを持ち帰ることを夢見て。

このように不自然な会話表現により、出題者の意図する文法や単語がストレートに入って来ず、
トムを始めとする登場人物のバックグラウンドにまで想いを馳せてしまうので、なかなか
学習が進まないのである。

少し話は逸れて、日本の英語学習を思わず憂いてしまった。

そんな「sit」は、イスやソファ等に座る際に、できれば用いてもらいたいがトムの鍛錬を手伝うつもりならば、
ブリッヂするトムに座ってあげるのもありかもしれない。

また、「シット」には、他に「Shit」という表現がある。

こちらも英語で「排泄物」を意味する言葉であるが、日本語の「くそ!」と同様、
何か面白くないことが起きた際に思わず口をついてでてくる少々下品な言葉として、
アメリカなどで使われている「スラング」と言われるもののひとつとのことだ。

例えば、自分よりも、美人で、素敵な恋人がいて、お金を稼いでいて、それでいて人望も厚いような
人物と遭遇した際、思わず、「Shit!」(ちくしょう!)と言ってしまったり、声に出さずとも
心の中で思ってしまうのではないだろうか。

まさに、「嫉妬」に「Shit!」の状況である。

近くにブリッヂしているトムがいたら、憂さ晴らしにトムに座ってしまうかもしれない。

これが俗に言う、

嫉妬にShitして、Sit on Tom

の状況である。次回のテストで出てくるのでしっかりと覚えておくように。

ーーー

人間は嫉妬深い生き物である。
かくいう、わたしもよく嫉妬する。

美しい人、可愛い人、色気のある人、脚の細い人、
胸の大きい人、要はスタイルが良い人、肌がつやつやなひと、
すっぴんがきれいな人、要はクマのない顔の人、
顔の小さい人、笑顔が自然な人…etc。

お金持ちの人、好きなことをしてお金を稼いでいる人、
常に冷静な人、咄嗟に面白いことを言える人、学歴のある人、
プロフィールに書けるような実績のある人、何を着てもセンス良く感じさせる人、
ヘアアレンジを上手にできる人、常に優しい人、周りの状況を冷静に判断できる人…etc。

嫉妬してきた回数数知れず。

その人そのものに憧れ、嫉妬する時もあれば、誰かの持つ自分にはない「何か」に強烈に嫉妬する場合もある。

嫉妬は苦しいものである。

嫉妬は、他者と自分の比較からしか生まれない感情であり、その感情は他でもない自分が生み出しものである。
自分で生み出しておいて自分で苦しむのだ。

そしてその苦しみも自分でしか終わらせることができないという非常に厄介なものである。

嫉妬によって、自暴自棄になり、やる気をなくしたりする。
「いくら頑張ったって、あの人にはなれやしないさ」
と遠い目をして、自分の運命を嘆いたりして。

と、このように嫉妬の嵐に巻き込まれてしまった際にわたしは以前から以下のように想像することで自分を取り戻している。

じゃあ、わたしよ、その人になりたいか?と。

自分の体や性格といった「器」はもちろんのこと、自分の親、兄弟、家族、友人、ペット、今まで出会ってきた人々
今まで経験してきたすべてを捨てて、「なかったことにしたらそのひとにしてあげるよ」って、神様に言われたとしたら
それでもそのひとになりたいか?と自問してみるのである。

と、ここで、

「はい!センセイ!ジブンはそれでもその人になりたいであります!!」

なんて発言をする、真面目一直線だが、空気や物事の流れという読めない生徒がいようものなら、

「…お、おう。そうか。…えー今日の授業はこれで終了である。時間まで各自自習しておきなさい。
あーくれぐれもうるさくするなよ。3組のヤスダ先生はああみえて神経質だからな。」

といってそそくさと授業を打ち切り、職員室でコーヒーを飲みながら週刊誌でも読んでサボる次第である。

どうだろうか。

あなたの持っているものすべてを投げ出しても、そのひとになりたいと思うだろうか。

過去に出会ったひとや経験はもちろんのこと、将来、これからあなたが出会うであろうひとや経験とも、
あなたがあの憧れのひとになってしまったら、もう二度と出会えなくなる…としても。

あんなにも素敵で、憧れていて、自分にはすべての分野において叶うはずがないと思っていたあの人だが
そのように想像すると、少し躊躇しないだろうか。
わたしはしてしまうのだ。

仮に、「それでも」と思って、その人になれたとしよう。

自分には完璧で、非の打ち所のない素敵な人生を歩んでいる人物に映っていたはずのその人だが
その人になったことで初めて、「自分」だった頃には見えなかった、その人特有の悩みや苦しみを知ることになるのだろう。

しかも、それが想像だにしないものであり、

「え!わたしには無理!!」

と思うようなものかもしれない。

そして、やっぱり「自分」が良い!と思っても、後の祭り。覆水盆に返らず。
もうあなたは「自分」に戻れないのだ。

そして、欠点だらけだったと思っていた自分がとても懐かしく愛おしく感じ、他のひとになってみて初めて
自分の素晴らしさに気がつくのである。
まさに、隣の芝生は青い。無い物ねだりである。

…と、まあどうやったって、その人にはなれないのだが、このように想像してみると、「自分が自分である意味」
が少しわかるような気がするのだ。
そして、自分が自分であることの良い意味での「諦め」が生まれるのである。

「自分」は「自分」でしか生きられない。
あの人もそのひとも、「自分」でしか生きられない。

いつも回り回って、そのような覚悟にいきつくのだ。
この当たり前の事実に、改めて「尊さ」を感じるのである。

だれかに嫉妬しても、どうせその人にはなれないし、そのひとになったらなったできっとまた何かに嫉妬するのだ。
どんなに満たされても、人間には「嫉妬」がつきまとうし、苦しさがつきまとう。

それを認めてしまえば、少し楽にはならないだろうか。

「完璧」を求めるから、「嫉妬」が生まれるわけで、その「完璧」はわたしやあなたはもちろん、
この世のだれも達成出来やしない。
だから、だれになっても、何を手に入れても、どのステージに立っても「嫉妬」は生まれるし、人間ってそんなものなのだ、
と認めてしまう。

でも、自分を生きられるのは、残念ながら自分しかいない。
だからこそ、自分を思う存分「自分」を生きるしかない、と思うのである。

今この瞬間、自分であるからこそやれることがあることに、感謝して目の前のことを自分らしく取り組んでいこうと思う。
そして、人生はその繰り返しなんだろうな、なんて考えている。

嘆いても嫉妬しても良いが、時は着実に進んでゆく。

そしてそんな日々もいつ終わりがくるかわからない。

だからこそ、自分であることを潔く諦めて、欠陥だらけでも醜さに溢れていても「自分を生きる」と決めて、前を向いて歩くしかないのだろう。
どう逆立ちしたってあの人にはなれないし、あなたもわたしも、本当のところは、「自分を生きたい」と思っているはずなのだから。

ほら、今日もそこで、トムは頑張ってブリッヂしている。
トムだって、今日も、富男を精一杯生きているのである。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
どんなに「嫉妬」しても自分は「自分」にしかなれない。けれど、それこそが素晴らしい。

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[ Sit! 嫉妬! Shit! ]オモシロ美人哲学。2016/04/17 17:49