36歳の決意。「不自然」から「自然」なわたしへ。

お久しぶりです。

Chacoです。

 

きゃー。長い文章久しぶり。

ちゃんと書けるかしら・・・。どきどき。

 

まずは、先日36歳になりました。

たくさんのお祝いのメッセージやコメントをどうもありがとうございます。

 

会ったことのある人もお会いしたことのない人も、多くの方に支えられ、見守られて、こうやって日々生活できていることに改めて感謝しております。

 

せっかくなので、今後のわたしの人生におけるテーマを、御多分に洩れず長々とお話ししたいと思います。

 

それは、「自然」です。

 

まさに大自然と触れ合って、わたしたちを育んでくれる大いなる恵みに、もっと意識をむけたいしそれらと触れ合って、大切にしていきたいという思いも少しづつではありますが、芽生えつつあるのですが、その前段階として、まずはわたし自身が「自然」な状態になりたいと思っております。

 

何を隠そう、今のわたしがとてつもなく「不自然」だからです。

 

と言いますか、36年間「不自然」に生きてきたといっても過言ではありません。

 

逆によくここまで生きてこれたな!って思うぐらいです。自分で自分に感心します。

 

特に、高校一年生の席替えで発症した「対人恐怖症」から、常に緊張を強いられてきた人生だったのかも。

 

「緊張」って、自分の「自然」な状態(リラックス)から、一番かけ離れている状態だと思うのです。まさに「不自然」な状態。

 

それで、常に「緊張」していると、自分の感覚がわからなくなる。もはや、自分の感覚がわかっている状態が思い出せないですもの。

 

自分の「好き」に従え

自分の「直観」に従え

自分の「ワクワク」を大事にしろ

 

とか。

 

昨今、いろいろ言われてますが、私、正直ずっとよくわからなかったのですよね。

いや、今もよくわかっていないかもしれない。

いや、確実にわかっていない。

 

とにかく「不自然」なのです。

 

「自分」が「自分」ではないのですよね。

 

ようやく、そのことに「本当の意味」で気がついたというか。

 

この体調の悪さや、不眠状態、なにかあったらすぐにぶれる感じは尋常じゃないぞと。

そんな不自然さでもってこれまでの人生を押し切ってきたのですが、ようやく、そんな自分にほとほと嫌気がさしたというか。

 

 

自分を見失っていて、自分の感覚がよくわからず、常に体調悪いし、本当「頭」だけで、こねくりまわして考えて、行動して、さらにドツボにはまるという日々。昨年、ブログに始まり、電子書籍、セミナーその他諸々の活動も、やはり、「頭」で考えての行動でした。(でも、それらのお陰でもらえた恩恵、出会いはかり知れません。頭!ありがとうあたま!)

 

身体は確実に蝕まれていて、「嫌だ」といっているのに、「みんなそんなもんでしょう」という考えのもと、身体の声を無視して、やりたいのかやりたくないのかわからないことを頑張ってみたり、ビジネスをやりたいわけではないのに、無理やりやろうとしてみたり、自然に尊敬できないし、自然に信頼できない人に対して、ならば離れればいいのに、「どうしてわたしはひとを尊敬できないのだろう」とか「どうしてひとを信頼できないのだろう」とかってぐるぐる考えて、自分を責めてしまったり。

 

本当、シンプルに離れればいいだけなのにね。相手がどうではなく、自分が「自然に」信頼できるひと、「自然に」尊敬できるひとと一緒にいればいいだけの話なのにね。自分が不自然だと、どうもシンプルに物事を考えられないのです。

 

そうなると、誰かや何かに保証を求めてしまう。

自分の気持ちや、自分のやっていること、それらが「間違っていないよね」と確認をしたがるようになる。まさに「外側」に依存をしてしまう状態。

 

THE・HUSHIZEN!!

 

そう。

 

心と身体は繋がっている。

 

わたしがこの一年で一番身をもって体感したのは、この真実かもしれない。

 

当たり前。

当たり前すぎて、当たり前だのクラッカーとかおどけるのも、はばかられるほどに、当たり前。

 

だけど、当たり前のことをずっとないがしろにしてきたわたしは、ようやく自分自身を「自然」な状態に還そうと、つい先日、覚悟を決めまして。

 

そのために、親や家族とも向き合って、祖母には長い手紙を書いたりね。

 

なんだか、ずっと他の兄弟と比べて「愛されていない」ような、「注目されていない」ような、そんな感覚があって。

 

でも、家族と向き合うと、それらはわたしの「思い込み」だったのかな、とか。さまざまな想念がほどけてきて。親も色々と大変だったのに、「愛されていない」なんて、なんという悲しい言葉の暴力を投げつけていたのだろう。とか。

 

※祖母からの手紙には、「愛されていない」と嘆くわたしに、「自分の中に、そんなことを逃げ場として【マスターベーション】をしているのではないですか。人一倍愛されているのに目をつぶってはいけません。」と強烈な一言が書かれておりました!ひえ〜!祖母は88歳です!ただひたすらにかっこいいのです。ロックなのですうちの祖母は。

 

もう何者かになろうとするのをやめる。

 

有名になりたいと思って、有名になれば、影響力がつけば、自分の人生に意味づけができて、もっと自分を好きになれるだろうと今まで不自然に頑張ってきた自分とおさらば。

 

そんな欲望のもとで興す行動、そんな不自然なわたしが興す行動が誰かにとって、良い影響を及ぼせるとも思えない。

 

そんなことを思って、自分の人生のようやくスタートラインに立てたかな、というときに、さっそくありました。人間関係の大浄化が。

 

おそらく、今まで生きてきた中で、一番と言っていいほどに自分のなかではショッキングな出来事で。

 

今まで長い間ずっと、大好きで、信じていたひと、そんなひとを疑ってしまう自分に喝を入れ、「なんで疑ってしまうのだ」と責めて、なんとか「信じよう。信じよう。」とかなり不安定な状態で数ヶ月を過ごしていたのですが、やはり、その疑っていた通りだったというか。

 

その「事実」云々というより、自分が「こう」と信じていたものが、実は「そう」ではなかった。

 

自分の頭の中では「あり得ない概念」とぶつかったと時に、ひとは大いなる衝撃を受けて、ショック状態となる。

 

自分自身が大きく傷ついたし、そんな自分の「衝撃」を相手にもぶつけてしまい、相手も傷つけてしまいました。

 

でも、自分が相手を「こうだ」と信じていたというのは、わたしの勝手な「期待」なのですよね。相手にも相手の葛藤がもちろんあって、その中できっと生きた心地はしなかったのだろうなとも思う。

 

そして、そのひとはそのひとなりの「覚悟」があってやったことだろうし、もちろん、わたしを陥れようとか、苦しめようなどという思いは微塵もなかったはずで。むしろ、私にも早く幸せになってほしいと願っていると思う。

 

 

そして、それと同時に、今まで自分のしてきたことが、他の誰かを傷つける行いだったのだ、悲しませる行いだったのだ、というそこの観点が欠落していたことも気づかせてくれて。被害者づらしているけれども、自分も加害者であった。

 

これらは、まさに不自然な状態だったわたし自身が産み出した出来事であるという客観的事実を知らしめてくれた。(すみません、なんだか濁しまくりで。)

 

そして、自分自身とは、考え方も、感性も、心の強度も、あらゆることが「違って」、自分の「不自然さ」が助長される人々や、環境との関係性を断つことも、促してくれた。

 

自分を「自然」な状態に還そうと決めた矢先の大浄化。

わたしには、大いなるギフトでした。

 

そしてね、今回の出来事は、わたし自身の「美学」を浮き彫りにしてくれたというか。

 

わたしは、やはり「嘘」が大嫌いなのです。

 

これは、「嘘」というものが正しい正しくないの観点ではなく、嘘をつくひとを裁こうとも思わないのだけれど、身体が「嘘」を受け付けないのです。

 

自分がなにか「嘘」をつく時に、自分の身体が蝕まれていって、いてもたってもいられないのを感じるし(その感覚は以前よりも鋭敏になってきている)、誰かの「嘘」に触れた時に、自分の状態が不安定になる。

 

そして、それに気がついてからは、自分がひとについてきた「嘘」を悔い改めるとともに、何よりも、自分についてきた「嘘」を懺悔しております。

 

あとは、結果を手にするために手段は選ばない・・・という考えが受け入れられないとか。逆に、手段こそ選ぼうよ!プロセスこそ、大事で、そのプロセスにどれだけ愛をこめられるかではないのかしら・・・。とかね。

 

自分の大切にしたい「生き方」を改めて気づかせてくれました。

 

だから、こういう発信についても、嘘を微塵も混じらせたくない。

誰かによく思われようとか、誰かの役に立とう(でも結局は自分に還ってくることを前提とした「誰かのため」を経由する意味があまりわからない。だったら最初から完璧に「自分のため・自分目線」の方が潔くてかっこよく思うのはわたしだけかな。)という思いを一切排除した、自分の混じりっけのない真実。

 

それを語っていこうとおもいます。だって嘘や、他の何者かになろうとするのが何より辛いんだもん。(これでよくセルフブランディング研究家などとぬかしていたわ。まったくもってブランディングなんてできやしないし、一番自分から遠いところにあるものなのにね。不自然だった〜。)

 

そしてね、わたしの一つの強みは、「弱い」ということ。

心も体も非常に弱いです。

 

だからね、「弱い」ひとの気持ち、「弱い」ひとの苦しみ、「弱い」ひとの葛藤が痛いほどよくわかる。

 

「弱っている」ひとに、「甘えるな」とか、「そんなんじゃダメだ」とか、「自分の感覚を信じろ」とか、そんなことを言っても、追い打ちをかけるだけ。誰よりも自分が自分の弱さをどうにかしたいと、孤独と戦っている状態で、さらにその孤独感を際立たせる。自分の感覚がわからずにもがいている最中で、さらにその手がかりさえ見失う。

 

弱いひとたち、でもきっと純粋で、まっすぐなひとたち。傷つきやすいひとたち。

 

そういうひとたちが、もっと、Happyになれる社会を。

そういうひとたちが、もっと、いきいきとした生活を送れる環境を。

そういうひとたちが、もっと、その美しさをいかんなく表現できる空気を。

 

わたし自身が、弱くて、不自然な状態、人間の精神的な成熟度でいったらかなり低い方ではあると思うですが、そんな底辺にいる自分だからこそ、決して上からではなく、苦しんでいるひとたちと一緒に、みんなで自分の「自然」な状態を目指して、体や心に様々なアプローチをかけていきたいなぁなんておぼろげに考えています。

 

そして、何も決めない。

毎日発信しよう!とか、ひとの役に立とう!とか、ひとつのことに特化しなきゃ!とか決めた時点で、そこにわたしの場合は「不自然さ」が紛れ込む。(そして結局なにもやらなくなる…笑)

 

自分の心と体が心地よいこと。

「これいいいよ!」と思ったこと、それを決して押し付けるでもなく、自分の「自然」な状態で、嘘のない思いを発信していく。

 

欲を言うならば、服部みれいさんみたいになりたいなぁとか、書く仕事をしたいなぁとか、世界中の色々なものを見て、感動したいなぁとかありますが、それも自分の今の不自然な状態から出た、願望なので、それすら本当の願いかはよくわかりません。

 

自分の中に全ての答えはあるということだけはわかったので、食事、運動、スピリチュアル、エシカル、ホリスティック…その他の手立てで、自分を「自然」な状態にしていく道すがらで、きっと自分の本当の「願望」と出会えるはず。

 

焦らず、1日1日を丁寧に。

できる限り、「嘘」のない「自然な」自分を目指して。

 

強いて言うなら、それが今の確固たる「願望」かも!!

 

最後に、今一番感じることは、ずっとずっと「不自然」な状態で、ぶれて、空回りして、迷惑ばかりかけているわたしのような人間の、自分すら見えていないその奥にある「自然」な状態を見いだいしてくれて、それを信じてくれて、見守ってくれて、励ましてくれたり、そばにいてくれる存在。そして、こうやってわたしのとっちらかった文章を読んでくださっている存在。

 

本当にその方々に生かされています。心から感謝しています。

そのひとたちのためにも、「自然」な自分に還ることだけを考える。

 

そして、わたしに出会ってくれた全ての人々、全ての出来事に、心から感謝して。

そんな想いで36歳をスタートさせた所存でございます。

 

まだまだ未熟者で、ふつつか者ではございますが、今後ともどうぞよろしくお願い致します!

 

さぁ、今から日課になりつつあるごま油でオイルマッサージしよ〜と。(後日紹介しますね。)

 

 

 

[ 36歳の決意。「不自然」から「自然」なわたしへ。 ]自分を信じること。2017/05/31 10:49