オモシロ美人研究発表レポその③

 

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

前回、前々回に引き続き、わたしの研究発表講座レポ第3弾である。

前回、わたしが提唱する「自分、リスペクト。」の考え方と、自分で自分に気づきを与える「セルフ自己啓発」の重要性について熱く語らせていただいた旨をお伝えした。
 


そして、その後に、2つほど、研究員諸君にはワークに取り組んでいただいた。

ひとつは、「自分をリスペクトする」ためのワーク。
もうひとつは、「唯一無二の自分ブランドを探る」ためのワークである。

どちらも、わたしのブログの過去記事にちなんだものである。

「自分をリスペクトする」ためのワークでは、わたしたちが日頃決め付けている「短所」と呼ばれる部分、そして「長所」だと感じている部分でさえ、捉え方を変えれば簡単にひっくり返る。

いわば、どちらも単なる「特徴」でしかない。ということを感じてもらうことを目的として取り組んでいただいた。

色々と書き出してもらったのに、最後には「実は、そんな作業はバカらしいのだ!」とわたしが一蹴するという、とんでもなくSっ気溢れるワークであった。

必死に取り組んだ研究員の皆は、「新婚さんいらっしゃい」での桂三枝のごとく椅子に座って後ろにひっくり返りたい気分であっただろう。

「短所を、見方を変えることで長所に変えて、自分の素晴らしさを知ろう!!」

という話はよく聞くけれど、そうしてしまうと、その「長所」によって自分は価値付けられていることを肯定することになる。

それで自分の心の状態が良くなればそれも良いのではと思うのだが、そうすると、自分だけではなく、他人に対しても「長所」と「短所」のものさしを向けてしまうことになる。

自分で無意識のうちに作り出したその「ものさし」が、時に先の尖った「凶器」となり、他人を傷つけ、自分すらも傷つけてしまいかねないのだ。

例えば、長所であると自負していた部分がひとより劣っていることを痛感する場面に遭遇したり、自分は難なくできることを、ひとができないからといって、そのひとに非難の眼差しを向けてしまったり…等々。

最近、痛感するとともに、自分にことあるごとに言い聞かせているのは、何事も「意味はない」ということである。

こう思うことで、どんなにか生きるのが楽になることか。

わたしたちの人生にも「意味はない」。

生を受けて、いずれ死ぬ。

ただそれだけ。

わたしはいままで、いかに自分自身を「意味づけ」、自分の人生を「意味づけ」、他人を「意味づけ」ようとしてきたのかと、そして自分自身を苦しめてきたのか、ということを実感している。

「人を愛し、愛されることは素晴らしい」

「健康的な生活をおくることは素晴らしい」

「女性は美しくあることは素晴らしい」

「自分を成長させるために学び続けることは素晴らしい」

「お金を多く稼いで輝いているひとは素晴らしい」

「人に嫉妬するなんて情けない」

「やる気のない自分は最低だ」

「良い大人なのに好き勝手やっている子供っぽい自分はだめだ」

わたしの頭の中を牛耳っていた様々な「意味づけ」をあげようと思えば、枚挙にいとまがない。

その「意味づけ」が何かへの原動力へとなる時もあれば、その「意味づけ」によって、途方もなく自分を捨ててしまいたいほどの罪悪感に苛まれることもある。

それはそれで良い。

けれども、その苦しみは、自分や世間、周囲の人間よって「意味づけ」られたものが生み出していることを自覚しておいたほうが良い。

わたしは今、あらゆることに「意味はない」という認識であろうとしているが、いとも簡単に、気がつけば無意識にその「意味づけ」に自分が苦しんでいることにハッとすることがある。

なので、そのたびに言い聞かせる「あぁ、そうだ。何事にも意味はなかった。」と。

たとえば、嫉妬してしまう自分を責めるのは、嫉妬という感情が「悪」という「意味づけ」が、あなたをそうさせているほかならない。

「嫉妬」に良いも悪いもない。

「嫉妬」に意味なんてない。

ただの感情なのだ。

そして、誰にでも、どの段階でも、必ず沸き上がる感情である。

そう思えたらどうだろうか。

だから、「嫉妬しない自分になる」ことを目指すのではなく、嫉妬するもしないも、それ自体には何の「意味もない」ということを認識してしまった方が、早く楽になれるのではないか。

嫉妬することが悪いことでも、嫉妬しないことが良いことでもない。

そこには何の「意味」もない。のだ。

わたしは、自分で自分を苦しめている時は、そのように考えて、心の平安を保つようにしている。

そして、人生に「意味」がないのであれば、わたしはただ、「今」を楽しむことを選びたいと思うのであった。

そんなことを少しでも伝えられたら、と思い、このワークを用意させていただいた。

少々話が脱線してしまったが、研究員の皆には、そんなわたしによるドSワークと、自分ブランドを探るワークに取り組んでもらい、第一部は終了した。

自分ブランドを探るワークでは、自分の「本質」と「憧れ」をミックスすることで、唯一無二の自分ブランドを確立してもらうことを目的として取り組んでいただいた。そして、誰しも、そのひとしかなり得ない宇宙で唯ひとつの「ブランド」であることを認識し、自信を持ってご自身を表現していってもらえたらコレ幸いである。

そして、第二部では、「オモシロ美人的情報発信術」ということで、わたしが日頃情報発信の際に、心がけていることをお話しさせていただいた。

研究員の皆に、実際役に立つ内容だったかどうかはわからないが、前提として、周りになんとなく流されるのではなく、自分の「こだわり」を持って、自分を表現、発信していってほしいというわたしの思いがベースとなった第二部であった。

そして、第三部では、「笑い」と「情報発信」に見る普遍的な魅了性という題で、研究員にあるお笑いのVTRを観てもらい、その映像に取り入れられている要素で、かつ、ひとを惹きつける情報発信に通ずる要素を体感していただいた。

この時のわたしが、当日のどの時よりも、目がらんらんと輝き、熱く語っていたようだ。

しかしながら、この要素を取り入れることができれば、わたし自身、情報発信のみならず、普段のコミュニケーションにおいて「ひとを惹きつける」という点においては、「無敵」になれると信じてやまない。

この研究は極秘裏に行われているため、今後も、クローズドな場で、いつか改めて発表の機会が持てればと思う。

以上が、わたしの初めての講座レポートである。

この講座はわたしの「やってみたい!」という思いに、周りの仲間や、来てくださった方々の協力があって、開催することができた。

本当にありがたいと思っている。

おそらく、お金を払い、時間を割いて参加してくださった皆さんよりも、わたしの方こそ多くのことを学んでしまったのではないかと感じており、逆にわたしが受講料として現金書留で2万円くらいお送りしなければならないのでは、という不安に駆られている。

それぐらい、「やってみる」ことの学びと、衝撃と、インパクトは大きかった。

「やってみる」
「行ってみる」
「会ってみる」
「食べてみる」
「嗅いでみる」
「乗ってみる」
「笑ってみる」
「怒ってみる」

「やる!」や「行く!」

よりも、「やってみる」や「行ってみる」という表現の方が、肩肘はらず、失敗含め全ての経験を「成功」であると思える、軽やかさと包容力を多分に含んでいると思うのはわたしだけだろうか。

みなさんも、ぜひ、歯を食いしばっての「やる!」よりも、とりあえず「やってみる〜」ぐらいのふんわり感で、あなたの気になる様々なことをやってみてほしいな、なんて思っている。

そして、わたしも今後色々と「やってみる」ので、その度の気づきを、またみなさんとシェアしていきたいと考えている。

また今後も違った形で、イベント等をやっていきたい。

また、セルフブランディングについても、面白そうな活動を始めてみたいと思っている。

と同時に、このブログを通じて、日頃の研究内容をみなさんにお届けしていく所存である。

今後とも、よろしく哀愁。

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[ オモシロ美人研究発表レポその③ ]オモシロ美人レポ2016/10/20 15:33