ぷろていんドリーム。

 

わたしは、その時にはまっているものを、会うひと会うひとに力説する性質を持つ。

今は、もっぱら、たんぱく質であろう。

近々会う人たちは、わたしよりたんぱく質の素晴らしさを力説される運命にあるので、覚悟していただき、心の準備を整えていただきたい。

そんなあなたは、わたしのたんぱく質に関する力説により、たんぱく質の持つ無限の可能性をまざまざと見せつけられ、図らずも心躍らせることとなり、アメリカンドリームならぬたんぱく質ドリーム(プロテインドリーム!)を胸に、いざパスポートと片道チケットを手に渡米したくなってしまうかもしれないので、パスポートの有効期限にはあらかじめ注意が必要だ。

わたしはたんぱく質との出会いにより、長年の心身における不定愁訴から脱却できたのであるからして、たんぱく質とわたしの仲人をしてくれたひとには本当に頭が上がらない。これから毎年、お中元とお歳暮には、山本山の海苔を送る手はずを整えねば。

たんぱく質はすごい。

わたしたちはたんぱく質からできているといっても過言ではない。歩くたんぱく質といったところである。なぜなら、わたしたちの、筋肉・内臓・皮膚・爪・毛髪などの主成分は、すべてたんぱく質なのである。

たんぱく質は、英語でprotein(プロテイン)と呼ばれているのは、みなさんもよくご存知であると思うが、なんでも古代ギリシア語のProteios=プロティオスに由来するらしい。その意味は「第一なるもの、主要なもの」というもののようで、なんと、古代ギリシア文明の時代から、たんぱく質は私たちにとって最重要の栄養素であることが認識されていたのである(明治乳業ホームページ参照)

ここで白状しよう。

わたしは、長らくの間、たんぱく質をないがしろにしてきた。古代ギリシア文明の時代から重宝されていた栄養素であるたんぱく質を、まったく重視してこなかったのだ。

たんぱく質を大事にしてこなかった。たんぱく質なだけ、彼らに対して淡白な扱いをしてきたのだ。

そんな薄情者のわたしがずっと首ったけだったのが、そう、あの炭水化物である。

わたしは長年、ずっと炭水化物に盲目であった。

本命であるたんぱく質をないがしろにしておいて、長年、炭水化物に入り浸っていたというわけだ。

好きな食べ物を問われれば、チャーハンに、パスタ、白ご飯、うどん、そば、もち、挙げ句の果てにさつまいもの天ぷらなどとぬかし、たんぱく質が唯一存在感を現せる「おかず」のカテゴリにおいてまでも、炭水化物に侵食されていた具合である。

たんぱく質の天国である焼き肉に行く際も、わたしは、焼いた肉よりも、肉のタレと脂のしみこんだ白ご飯を食べることの方が、ことさらに重要だったと言えるかもしれない。

 

申し訳ないが、たんぱく質は、炭水化物の添え物だったのだ。

刺身でいう「つま」、オムライスでいう「パセリ」、ポタージュでいう「クルトン」の立ち位置だったというわけである。

 

しかしながら、ここへきて、わたしの中では、今まで脇役であったたんぱく質が、ステージの真ん中に躍り出たのだ。ステッキをくるくる回しながら、燕尾服を着て、シルクハットを被って、タップを踏みださんばかりの勢いだ。

これから一億総たんぱく質の時代がやってくる。一大センセーショナル。エモーショナルマーケティング。パラダイムシフト。パラダイス銀河!しゃかりきコロンブス!!

そんな感じで、今は、長年不義理をはたらいていたたんぱく質と、仲直りをしている最中だ。

とはいえ、炭水化物はけっして悪者ではない。

その魅力たるや、宝塚現役時代の男役トップスター、大地真央を彷彿とさせる。となると、たんぱく質は、女役トップスターの黒木瞳あたりだろうか。(いちいち昭和)

ある本で読んでなるほど、と思ったのが、「糖質は、主食ではなく、嗜好品として捉えて、有り難くいただきましょう」というくだりである。

これは素晴らしいと思った。

決して、炭水化物および糖質を悪者扱いするのではなくて「特別なもの」という捉え方をしようという考えである。

 

 

わたしたちはケーキが大好きだけれど、ケーキを毎食、エビフライをおかずにして食べたりはしないだろう。

特別な日に。

特別な人と。

特別な気分の時に。

そんな「特別な」「感謝と喜びに溢れる」瞬間に、ケーキや、見た目の可愛らしいご馳走を捉えているのではないだろうか。

だから、わたしも、今は炭水化物や糖質は基本的には控えてはいるが、誰かと一緒の時は、有り難く、よく味わって頂いている。

今までは白いご飯や麺類等の炭水化物は、必ず食事につきもの(=主食)という思いだったので、特にありがたみもなく、淡々と口に運んでいたが、今はそれらを毎回食べるわけではないので、いざ頂く時は、とても楽しく、美味しく、有り難く楽しんでいる。

そのような感じで、改めて食に対する意識に変化が生まれてきたのも、とても嬉しいことである。

人間関係もそうであるが、ある人、ある事物の一面だけを捉えて、批判したり、ことさらに賞賛するのではなく、どの事物も、どう捉えるか、どう解釈するかによって、悪者が、善人に、常識人が、変わり者に、いとも簡単に変貌する。要するに、すべての人、すべての事象に、あらゆる可能性を内包しているのだ。

どこをクローズアップするかにより、その事物のそれぞれの人生における役割が変わってくるだけだ。

わたしもまだまだ修行中の身である。

今後も出会う、様々な事柄に対し、どれだけ自分の人生におけるポジティブな意味づけをできるか。それを不自然な形ではなく、無理やりにではなく、リラックスして、「自然と」そう捉えられるか。それには、考え方を思想を学ぶだけではなく、フィジカルの安定も大変に重要であると、今は痛感している。

引き続き、あらゆる人や考え方との出会い、また、食べ物等を通じて、そんな「万物肯定力」を磨いていきたいと考えている。

[ ぷろていんドリーム。 ]カラダのこと。2017/07/31 12:54