自分に値をつける勇気。

最近、気持ちが不安定でした。ふふふ。(ふふふじゃないよ。)

 

やはり、「起業」という自分の人生の新たな扉を開く段階に来たからか、いつもなら「えいや」って、半ばヤケになって行動に移せるものを、今回ばかりは足がすくんで、現実逃避してしまってました。

あるひとには、混乱して、取り乱したところを見せてしまったり。笑

本当にごめんなさい。

でも、ようやく、落ち着いて、現実を見られるようになってきました。

 

何に恐れおののいていたかというと、自分に値付けをして世に問う恐さ。です。

 

自分の中では、何かの物やサービスを味わい、楽しむことと引き換えにお金を払うということについては、だいぶ【お金のブロック】と呼ばれる類のものが外れてきたのではとは 思っていました。

  

有形、無形問わず、心惹かれたものには、躊躇なくお金を払うことができるようになってきていた。

まぁそれを人は、「後先考えずに」とか「行き当たりばったり」と言うのだろうな笑。

 

なので、お金によって、闇雲に喜んだり、闇雲に恐怖に苛まれるという段階は過ぎつつあるのかな、なんて。

 

お金は、単に「お金」で、お金自体には何の価値もないって。

 

だから、払えるんだから、胸を張ってもらえるはずだ、と。

 

そんな風に思っていました。

 

でも、自分への値付けが恐いということは・・・やはり、まだまだ自分の中に金額の多寡でその価値をジャッジしようとする、そんな自分がいたようで。

  

加えて、今度は自分に値付けをして世に問うことで、自分の【価値】というものをジャッジしようとしているわけで。

 

そりゃ恐いわ笑。

 

だって、その考えのもと、自分に値段をつけてそれを世に出して、誰にも受け入れられなかったら「価値なし」って世間から自分に烙印を押されるってことだし!

しかもしれーっと価格を出せばいいものの、恐怖から色々とおかしなことをやろうとして、でも恐怖を隠そうとしての行為だから、なんか億劫になって、途中で投げ出して自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れて…。

ただ、ひとつ成長してきたと思うのは、自分責めが少なくなってきたこと。

自分の駄目なところ、醜いところ、情けないところ、それらを攻めそうになった時に、意識的に踏ん張る癖がついてきた。

自分を責めていると、本当にエネルギーを奪われる。

エネルギーが奪われる割には、何一つ、誰にとってもメリットはない。

いや。

世間的に「正しい」とされている価値観に対して、そう在れない自分をジャッジしている「自分の中の自分」に対して、「こうやって自分を責めているのでどうか許してください。」と、許しを請うことで、そのジャッジしてくる自分に、自分を責めている姿を見せて溜飲が下げようとかもしれない。

自分を責める行為って、自分で自分を好んで裁いているに過ぎないのだなぁ。

それに気がついてからは、ひとりSMプレイが始まったら、直ちに仲裁に入るようになった笑。

おっと、脱線しちゃった。

というわけで、自分の中の「お金」にたいする前提を、自分の中で、前提を変えてみました。

 

「お金は単なるエネルギーで、価値を測るものではない。」

 

「自分(のサービス)に値付けをして世に問うことは、人生という映画において、主演であるわたしの映画を彩ってくれる助演女優、助演男優と出会うための一場面にすぎない。」

(お客さんにとっては、お客さんが主演で、わたしが助演女優)

 

「もしそこに誰も現れないのなら、そこで感じた感情、経験を糧に、お互いを必要と感じて、出会えるように次の展開を練り直せばいいだけ。」

 

こんな感じで少し、ドラマチックに。笑

 

まぁ、わたしの場合、とっちらかり過ぎて、映画というより、もはやコントですが笑。

  

やっぱり、「お客さん来ないと恥ずかしいなぁ」とか「かっこ悪いなぁ」とか、この後に及んで、まだカッコつけようとしてるわたし。笑。バレバレなのに。

 

わたしなんて、何者でもないのだから、こうやって、勇気出して、滑稽で無様で、体当たりしていくところをお見せするしかできないのに。

  

本当に自分に笑える。 

  

***

 

そして、価格なんですけど、これについても、ずっと考えてました。

 

相場を見て、無難(と思われる)価格で、とりあえず世に出して、様子を見るか…。

   

とも考えたのですが、やはり、何だかしっくり来ない。ワクワクしない。

 

なので。【どうして自分が会社員辞めて、起業しようと決めたのか?】に立ち返りました。

 

【自分のワクワクすることで、お金をもらって、誰かに喜んでもらって、わたしもそのお金を循環させて、身も心もさらに満たしていきたい。そして自分と関わるひとをさらに満たしていきたい。きゃーそんなの幸せすぎる!(あとは旅行に行きたい。美味しいもの食べたい。朝ゆっくり寝てたい…etc)】

 

これでした。シンプル。俗。

 

だとすると、わたしは、【楽(ラク)して、お金を稼ぎたいのだ】と、なかなか発言をはばかるような、ことを考えていることに気がつきました。

 

正直、苦労したくないし、苦しみたくない。

 

・お金は苦労して得るものだ。

・自分の好きなことを仕事になんて甘いこと言うな。

 

こんな固定観念が世間に、そして、自分の中にもまだまだあるから、声を大にして言えないんだろうけど。

 

(きっと、苦労したりはするのだろうけど、初めから苦労ありきの姿勢で挑むと、間違いなく自ら苦労を選びそうなので。「苦労は絶対ではない」と自分の前提に刻み込むのだ。)

 

 

でも、自分の今までの人生において、「ワクワク」しながら、やりたいことに挑戦した時の、没頭(暴走?笑)っぷりや、そこから生み出されたパワーや作品を考えてみたら、逆に、「ワクワクしない状態」で物事に取り組むって、ものすごい損失ではないか、と思ったのです。時間も、労力も。人的資源も。

 

そして、何より、関わってくれる相手にも誠意がないし、自分の持つ力に対しても無礼である、と。

 

だとしたら、会社員として、あまりワクワクはしない仕事で、ある程度安定した日々を過ごした方が、精神衛生上、絶対良い笑。

 

でも、これも何もかも、「ひとにどう思われるかを気にして、ワクワクできる価格で自分に値付けする勇気を持てない自分」によって引き起こされるもの。

  

やはり、問われる勇気。

 

どのみちリスクをとるのなら、無難なところで、どことなく不服な気持ちを携えて…ではなく、まずは思い切って、自分の直感とワクワクに従って、値段をつけてみる!それでお客さん来なかったら…それはその時また考える!

 

そんな感じで、わたしの中の男気がようやく目を覚ましました。笑

 

間違うことを自分に許す。

失敗することを自分に許す。

自分に許せば、ひとのことももっと許せるようになるし、ジャッジすることもなくなる。

結果、生きやすくなる。

 

冷静に考えれば、良いことづくめだ。

  

というわけで、

わたしのブランディングフォトセッションは、「10万円」ぐらいで考えてます。

なんで10万円?と聞かれても、「なんとなく」としか答えられませんが、ただ写真でブランディングをするという観点から選ぶ際に、他にたくさんの選択肢がある価格はやめておきたいと思ったからです。

わたしのことを知っていて、この変なやつに関わってやろうじゃん!って思ってくれる寛容なひとに来てもらいたい。「お金」に、というより、「人生」に真剣ながらも、遊び心のあるひと。確実に変わっているひとだと思います笑。お互いが共鳴できるようなオモシロいひとと関わっていきたい笑。

偉そうにと思われるかもだけれど、中途半端な価格で、うっかりわたしをよく知らないひとに選ばせてしまうことの方が、誠意がないとも思うので。

そういう考えがあるので、10万円という価格が浮かんだのだと思います。

 

内容としては、事前に気分の上がる素敵なホテルのラウンジで、美味しいケーキとお茶を飲みながら、あなたのなりたいイメージを共有して、ワクワクしながら、素敵な未来と、実際の撮影内容について打ち合わせして、当日は、楽しんで撮影して、その後わたしがワクワクしながら編集して、それを後日、お渡しする。

そして、その内容をまた、わたしが撮った写真とともに読者の皆様に発信する(承認頂ければ)。

また、この価格でわたしのサービス、もしくはわたしに興味を持ってくれたひとは、きっとちょっと変わった面白いひとだと思うので笑、もし望んでくださるのなら、未来永劫お友達。いつでも気軽に質問や相談をしてください。

在りたい未来を今ここから先取りする、ブランディングフォトセッション「ダレデモデルモ」(仮題)!

「デルモ」という、モデルのズージャ読みも昭和っぽくて気に入ってます。(例:素人=トーシロ、寿司=シースー)

絶対譲れない部分は、一貫して、わたしがワクワクするだろう、内容と価格。

そしてわたしがワクワクすれば、お客さんもワクワクして、出来上がるものも素敵なものができるに違いない。という前提。

ワクワクをなめちゃいけない。というのがわたしの最近の体感です。

ひとから見たら「苦労」と思われるようなことでも、わたしが「ワクワク」していれば、それはわたしにとって苦労ではないから、ワクワクではなく、「情熱」と呼んだほうがしっくりくるかな。

もし、この価格でひとが集まらなくても、粘り強く自分を発信して、自分が成長して、「こいつと関わったら人生がオモシロくなるかも!」って思ってもらえるような「自分」を目指せばいい。 

うん。その日々が、わたし自身の「ブランディング」にもなるな。

 あと、ブランディングの必要のない方向けに、もう少しお手軽な写真だけのコースと、写真はいらないひとのための、コンサルティング(という名の楽しいお喋り)というプランも考えています。これも誠意を持ってのワクワクベースの内容と価格。

マーケティングもよくわからないし、ひとからどんな風に見られていて、自分に何ができるのかもよくわかっていないし、他人目線の記事も書けないし、本当、大丈夫か?と自分で自分が心配になるのだけれど、ひとつ言えることは、察しの悪いくせに暇さえあればずっと考えてしまうわたしは、体当たりでぶつかって、体感しないと、本当の意味で物事がわからないやつであるということ。笑

だから、もう、やるっきゃない。

前に進むっきゃない。

だから、みなさんも、もう、好き勝手やりましょうよ。

少なからず、自分で自分にジャッジするのはやめて。

自分も他人もジャッジするのやめて、権威やお金に対するプラスのジャッジも、マイナスのジャッジも、一旦フラットにしたら、どんなに皆が生きやすい世の中になるのだろう。

「良い悪い」、「正解不正解」もない、ただあるのは「好き嫌い」だけ。

それで、みんな好きなことを好きと言い、嫌いなものには、近づかなければいいだけ。

自分が嫌いなものを、何かの価値観に則って「悪いものだ」と罰したり、「不正解だ」と、正そうとするその姿勢は、自分の好みを押し付けているだけと気がついた方がいい。それはわたしも。

それを知っている上での好き嫌いのジャッジなら、いくらでもしていいと思うけれど。

でもそれはあくまで、個人の「好み」の問題に過ぎない。

ただひたすらに、様々な価値観に、寛容でありたいな。

そして、自分でお金を稼いでから、本当の意味で、「やっぱりお金じゃないんだよね」と心から言えるようになりたいな。笑

***

本当、いつも根気強く見守ってくれる、家族はじめ、お世話になっている方々、本当にごめんなさい。そして有難うございます。

今後とも、心配させたり、ヒヤヒヤさせたり、やきもきさせたりすると思いますが、どうか温かく見守ってくださると嬉しいです。

そして、良かったら変なやつがいるということで、お知り合いにご紹介頂けると嬉しいです。

というわけで、このワクワクが伝わるような素敵なセールスレターを作っていきます!

乞うご期待♪

・・・恐いなぁ。

てか、そもそもドMなのかね。

[ 自分に値をつける勇気。 ]Photo Session2017/02/13 23:22