「逃げる」が勝ち。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

みなは「ケイドロ」という遊びを覚えているだろうか。
地域によっては、「ドロケイ」と言っていたかもしれない。

「ケイドロ」とは「警察と泥棒」の略で、警察と泥棒ふたつの
グループに分かれて、警察が泥棒を追いかけ回し牢屋に入れるという遊びである。
小さな頃、よく興じたものだ。

ちなみに、「ケイドロ」を調べてみたところ、

呼び方はケイドロ(警察と泥棒)やドロケイの他にも、ドロジュン(泥棒と巡査)、ジュンドロドロタン(泥棒と探偵)、ヌスタン(盗っ人と探偵)、ドロジ (泥棒じいさん)、悪漢探偵タンテイ探偵)、探偵ごっこ助け鬼(捕まった人を助けるから)など様々である。(Wikipedeia)

ドロタン!!
ヌスタン!!
ドロジ!!

わたしは「ドロタンとヌスタン」という兄弟妖怪の冒険を描いた長編物書ける自信がある。

それにしても、「ドロジ」はひどい。
「泥棒じいさん」って、それを捕まえる「警察」は一体ぜんたいどこに行ったのだ。
これでは単なる、盗みを働く高齢男性の紹介ではないか。

もしくは何か。「泥棒とじいさん」とでも言いたいのか。
じいさんに泥棒を追いかけ回せる体力があるわけがなく、そんなもの泥棒の不戦勝である。
それであれば、「泥棒とじいさん」という、盗みを繰り返す泥棒を諭し、改心させる
心優しきじいさんの長編物語を書いた方がましだ。

とにもかくにも、このケイドロ(別名:ドロジ)は、「いかに逃げるか」がテーマの遊びである。

泥棒は逃げ回り、警察に捕まったら牢屋に入る。
しかしながら、仲間の泥棒がその牢屋に助けに行き、捕らえられた仲間をタッチすれば
その泥棒は晴れて自由の身となり、また逃げられるのである。

「逃げては捕まり、逃がしては捕まる」

それを繰り返すゲームである。

しかしながら思うのである。
「泥棒よ、なぜ逃げない」
と。

ゲームが始まった途端に、警察の目の届かないどこか遠くまで逃げてしまえばいいのだ。

それが、何が楽しくて、あえて牢屋の付近をうろうろしてみたり、捕まった仲間を助けに行くことを試ようとするのだ。
そしてミイラ取りがミイラになり、自己犠牲の精神を貫いたばかりに不自由の身となってしまうのである。

そのようなところで、仲間思いの純粋さを発揮するぐらいだったら、どうしてあの時盗みを働いたのだ。

もっと早くにその純粋性に即して生きていれば、そもそも泥棒にならずにすんだのにと思わずにいられない。

そして、わたしはこの「ドロケイ」における「泥棒」にだけではなく
みなにもこの言葉を投げかけたいのだ。

「なぜ、逃げないのだ」
と。

わたしは、30余年生きてきて、痛感していることがある。
人生は「逃げるが、勝ち」である、と。

わたしはよく逃げる。
前回、「大嫌い」の作法。ではわたしは「風」が大嫌いである旨をお伝えしたが
他にも「忍耐」や「我慢」が大嫌いである。
なので、この「忍耐」や「我慢」が要求される場面に直面すると
わたしは逃げてきた。
いや、逃げずに踏ん張ろうとしたが、無理であった、といった方が正しい。

今回は、わたしの過去についてお恥ずかしながらみなにお話しようかと思う。


以前、国際線CAをやっていたわたしであるが、楽しいながらも、

「これからの人生、もっと地に足をつけた生き方をしなければならないのでは」
と不安にかられ、CAの職を辞して、まさに天から地ということでまったくの異業種である不動産会社に転職をした。

しかしながら、何か大きな志があったわけでもなく
今後のことを考え、自立した女性になるには、専門的な知識やスキルを身につけた方が良い
という「不安」によって促された転職であった。

そして、最初に入ったベンチャー企業では、投資用の不動産営業として
不動産の知識はもちろんのこと、税金について、相続について、賃貸管理について等々、
今までほぼ無関係に生きてきた諸々の知識を学びつつ、ひとに不動産という高額な買い物をすすめる仕事に従事した。

月のノルマが決まっており、達成できないと無言有言のプレッシャーを受ける。

そして、そのノルマをクリアするためにも、リストの電話番号に片っ端から電話をかけ、怒鳴られたり
ガチャ切りされたりなどは、当たり前のことだった。
心折れる日々であった。

そのような中、自分なりのスタイルを確立し、仕事を心から楽しみ、きちんと結果出して
それに見合った報酬をもらっている同僚もいて、
「わたしだって頑張っているのにどうしてこんなにも空回りするのだろう。」
と、全く成果の出せない自分無能さに対して途方に暮れていた。

もちろん、成果も出せないわたしは、もらえる給料も安く、日々精神的にも肉体的にも追い込まれながら、薄給でさらに苦しむという三重苦の日々を送っていた。

厳しいながらも部下思いの上司や、いつもサポートしてくれる同僚に恵まれ、会社自体は好きであったが
「我慢」や「忍耐」が苦手なわたしは早い段階で限界を感じ、その会社をたった8ヶ月で去ることを決意する。

そして、次に選んだのも、「不動産会社」であった。

理由として、ベンチャーではなくて、大手の会社であればわたしに合うのではないかと考えたのと
「投資用」ではなく実際に住むひとに販売する「実需用」の営業の方が向いているのではと思ったからである。

また、当時の恋人との結婚を考えた時、基本給が高く、福利厚生もしっかりしている大手企業の方が
良いのではないか、という「消去法」および「安定」を求めたのであった。

また、せっかく不動産業界に入ったのだから、と、不動産が好きとは思えなかったが
「せっかくだから」という「もったいない精神」が働いていたのも事実である。

二社目の不動産会社では、1社目のベンチャー企業と同様、最初の頃は成果が出ず、苦しんだ。
やはり、わたしは不動産もしくは営業という職種は向いていないのでは、と痛感した。

そして、やけになったわたしは、「営業しない」というスタンスに切り替えた。

もうどうせ頑張っても売れないなら、頑張ることをやめたのだ。

例えば、その会社の規定で10%の頭金がマンションの購入の際に必要なのだが、

「10%も頭金を払えない。」という客がいたとする。
それまでのわたしであれば、せっかくの見込み客をなんとしてでも契約にこぎつけなければと、
上司になんとか頭金を減らして契約できないかと掛け合ったりしたのだが、


「そうですか。それでは残念ながらお売りできませんね。」ときっぱりお断りしてみたのだ。


どうせ頑張っても売れやしないのだから、頑張ることをやめたのである。


そうしたところその客人は、
「待って。5%なら用意できる。」と言ってきた。

それでもわたしは

「そうですが。けれども、皆さんには10%をご用意頂いてご契約いただいております。お約束いただけないのであれば、こちらとしても契約はできかねます。」と、突っぱねたのであった。

そうしたところ、「わ、わかった。10%用意するので、契約したい。」と懇願してきたのだった。

薄々感じていたが、この客人は本当に10%の頭金を用意できないわけではなく、ごねていただけだったのだ。


この頃から、頑張らなくても、スムーズに契約件数が増えていった。

担当している物件の魅力もあっただろうが、こちらが特に何もしなくても
お客さんが勝手に気に入って、「買いたい」と申し出てくれるようになったのである。

「頑張りさえすれば、報われるというものではないのだな。」

という真理を得たのはこの頃かもしれない。

というわけで、契約件数も増え、スムーズに商談が進むようになったわたしであるから
さぞ仕事が楽しくなってきたと思われるだろうと思う。
しかしながら売れるようになったわたしの心境は

やはり辛い。

この一言に集約される。

当初は「結果が出ないから苦しいのだ」と思っていて、結果が出さえすれば、そして周囲から認めれれさえすれば

きっとこの苦しみから解放されて、充実した気持ちで仕事に取り組めると思っていたのだが
売れるようになったらなったで、また違う苦しみに襲われたのであった。

「ちゃんと契約手続き踏めるかな。」

「ローンや団信通るかな。」
「お客さん気が変わらないかな。」
「内覧して気に入ってくれるかな」
 などなど。

また、休みが合わなくなった恋人とは様々なすれ違いが生じ、結果振られてしまい、大袈裟かもしれないがこの世の終わりのような絶望を味わうことになる。

そして、ストレスの極限に達したわたしは休みの日に突然、わけもなく涙が出てくるという、人生史上初の身体症状も表れ、そんな自分に大いに戸惑ったりもした。


そして、決断したのである。

逃げよう。と。

ベンチャーでも、大手でも
投資用でも、実需でも
頑張っても、頑張らなくても
結果が出てなくても、結果が出ても


どうであったって、ここに居続ける以上、わたしは辛いのだ、と。

これからもこの仕事を続けていても、苦しむだけなのだ、と。

そう痛感したので、逃げる覚悟を決めた。

そして、
「ノルマなどなく、土日休みで、定時で上がれ、好きな接客ができ、ある程度のお給料がもらえるところ」
という観点で、仕事を探した。

接客業で、土日休みの仕事である程度のお給料が保証されているなんて、そんな美味しい仕事はなかなかないだろう、とも思ったが、なんと、速攻でこの条件を満たしている仕事が見つかったのだった。

わたしはすぐに書類を送り、面接を受け、内定をもらった。
そして、内定先の事情ですぐに来てほしいとのことだったので、一週間前という短い期間であったが
わたしは在籍していた不動産会社に退職の希望を伝え、急いで引き継ぎをし、わずか一週間で
職を変えたのであった。

そんな非常識極まりないわたしであったが、不動産会社の上司や同僚は、わたしの心情や希望に理解を示してくれ

温かく送り出してくれたことには今でも心底感謝している。

そして、今わたしは、本当に幸せな日々を送っている。
国内外様々なお客様を、程よい頻度で接客し、同僚にも、クライアントにも恵まれ、
非常に良好な人間関係を結ぶことができている。

また、定時にきちんと退社でき、土日祝もきっちり休めるため、プライベートの時間もしっかり確保できる。

正直、あまり、仕事をしているという感覚がない。
職場に行くのがとても楽しい。

今まで社会人になってから常に感じていた、朝、会社に行くのが憂鬱と感じることがないのだ。

そして、感謝して楽しんで業務に従事していただけなのに、通常では考えられない昇給に恵まれ
こんなことがあって良いのだろうか、と、自分の恵まれた環境に少々戸惑いを覚えるほどだ。

そして、そのような環境であるから、より自分自身を追求することに専念できる。

オモシロ美人研究の一環として、スタバに通い、このようにブログを書けるのである。
なんという幸せ者だろう、と思うのだ。

心底感じている。
あの時、逃げてよかった、と。

よく、「石の上にも三年」ということわざや、「苦労は買ってでもしろ」という通念が
この日本存在し、「苦しみに耐え苦労する」ということが美徳とされている。

自分の志があり、目の前の困難を乗り越えることでどうしても得たい「何か」がある場合、
その「何か」のためにわたしたちは「努力」をし、時には「苦労」を余儀なくされることはある。
その先にある確かな「喜び」のために。

しかし、今あなたが負っている辛さの先に、あなたの求める
「喜び」は存在するだろうか。

もしかしたら、
「嫌いだけれど続けていればなにか良いことがあるのではないか」
「本当はやめたいけれど、やめたら周りに迷惑がかかる」
「忍耐のないやつと思われたくない」
そんな思考によって、今の苦しみに耐えているのであればそれは危険である。

なぜなら、今あなたが何のために苦しんでいるのかというと
「苦労することは素晴らしいと立証するため」
「周りに迷惑をかけないため」
「他人に忍耐力のないやつとレッテルを貼られないため」
だからである。
自分の望む真の「喜び」ではなく。

わたしの経験および周りの人間を見渡しても、上記のような動機で嫌なことを頑張って続けているひとに
明るい未来が訪れた様子は見られないし、この先も状況が改善するようにも思えない。

だったら、逃げよう。

同じように苦しむなら、自分の望む「喜び」がきちんと見据えられるような苦労をしよう。
もし、その「喜び」がまだわからないのであれば、とりあえず、あなたの心と体が楽になる場所に逃げよう。

あなたを逃がしてあげられるのは、あなただけなのである。

そして、わたしが「地獄」だと思っていた不動産の仕事で、同じ仕事をしながらも喜びを感じ
成果を上げていたひとがいたように、あなたがその場所から逃げてくれたおかげで
その場所で「喜び」を感じることができるひとのための「スペース」が生まれるのだ。

そして、わたしが今「喜び」を感じている職場においても、「合わない」といってやめていく
ひとがいるように、あなたが、「喜び」を得るためにその場所に逃げ込んだことで
その場所で苦しみを抱いていたひとを「逃がして」あげることになるかもしれないのだ。

一回の逃げでは、あなたの望む「喜び」とは出会えないかもしれない。
しかし、それは学びとして、そこで自分の「喜び」を明確にしてまた他の場所へ逃げれば良いだけなのだ。

逃げるという言葉だから少し違和感があるかもしれないが、
「配置転換」と考えたらどうだろうか。

あなたはあなたの人生というゲームの指揮官で、人生がうまくまわるように
あなたというプレーヤーの配置を変えていく。ただそれだけなのだ。
観客からの心無いブーイングが時にはあるかもしれないが、あなたはチームである自分の喜びのために
粛々と配置を転換していけば良いのだ。

わたしは逃げることで人生が好転した。
だから、人生は、逃げたもん勝ちだ、と確信している。

そして、これからも意味のない苦労からは周りに遠慮することなく、全力で逃げていく…いや、自分をより楽しく、幸せな状況になるよう自分の配置転換をしていく心づもりである。

「逃げる」と決意することが
自分を幸せにすることから「逃げない」覚悟になるのだから。

みんなも、逃げて逃げて逃げまくれ〜〜〜!!
警察に追い掛け回される泥棒のように。

というわけで、6000文字に迫る超!長文を最後までお読みいただきどうもありがとう。
あなたの時間を何分奪ってしまっただろうか。

「泥棒じいさん」ならぬ、「泥棒ばあさん」と言われてしまっても仕方ない。

それでは次回、「ドロタンとヌスタンの大冒険」でお会いしよう。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
人生は逃げたもん勝ち。幸せになるために自分の配置転換をせよ。

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[ 「逃げる」が勝ち。 ]オモシロ美人メソッド2016/03/05 23:50