メロンパンのはったり。

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こんばんは。
Chacoです。
 
わたしはメロンパンが好きだ。
パン屋に行くと、たいてい買ってしまう。

わたしがパン屋に行く時は、たいてい、一つしょっぱいパン、一つ甘いパンを買うのだが(時に、腹の空きいかんにより、さらにもう一つ、小さめの甘いパンを買う場合もあり)、
 
「よぉ〜し、今日こそは、メロンパンではない違う甘いパンを買うんだぞ〜いいか〜自分〜」
 
と自らに言い聞かせつつパン屋に乗り込むも、お会計の際に、やはりメロンパンを購入しようとしていることに気がつき、そこまでメロンパンラバーな自分に毎度「ハッ」とさせられるのである。

どんなメロンパンが好きかというと、オーソドックスなメロンパンが好きだ。
 
気を利かせたつもりか知らないが、昨今よく見られる、中にメロンクリームなどが入っているメロンパンを知らずに買ってしまった暁には、店員の胸ぐらをつか…、ゴホン、ふつふつと静かな怒りで包まれる。
 
これも気を利かせたつもりか知らないが、「夕張メロン風」のオレンジ色したメロンパンや、「プリンスメロン風」の緑色した、メロン風味のメロンパンもあまり好みではない。
 
「メロンパン」とうたいつつ、味や香りという食物にとって一番重要とも言える要素において、肝心のメロンを一切取り入れていない、昔ながらの白い「メロンパン」が好きなのだ。

考えてみればすごくないだろうか。
要は、形がメロンっぽいだけで、「メロンパン」と言い切っているのだ。

「あんぱん」や「クリームパン」は、その証拠に、お腹にあんこやらカスタードクリームやらを隠し持っているので、堂々と

「あんこのパン、ひと呼んであんぱんです。」
 
と名乗るに値するパンだろう。

そう言われたらわたしたちはぐぅの音も出ないほどに、彼らの「名」は「体」を表していると言える。

しかしながら、「メロンパン」は、ただ単にメロンっぽい形をしているだけで、平然と自らを「メロンパンである」と名乗っているのだ。

これは、例えば、東大卒のような賢そうな風貌をしている人物がいて、東大出身ではないのに、

「わたしは東大人間です」

と名乗っているようなものだ。

「東大人間」と自己紹介された相手は、

「へ〜すごい!東大ご出身なんですね!」

とリアクションするだろうが、
 
「いいえ、わたしは東大出身ではありません。ですが、東大人間です。」
 
と平然と答える。そうすると相手は、

「・・・は、はぁ・・・」

と混乱することだろう。

しかしながら、東大出身ではないけれど、自らを「東大人間」と名乗る不思議な人物と一緒にいると、なんだか楽しくて、

「このひと東大卒じゃないのに、自分のこと『東大人間』とかわけのわからないこと言ってるけど、まぁ楽しいからいっか!」

と、その人物が東大卒か否かなんてどうでもよくなってくる。
そして、そんな「東大人間」のことが徐々に気になり始めるのだ。

いつもの場所に行くと、自分でも気づかぬうちに、東大出身ではない「東大人間」というおかしな人物を目で追ってしまう自分に気がつき、

「や、やだ、わたしったら…」

とひとり顔を赤らめるのである。

わたしがメロンパンに抱く感情は、こんな感じだ。(どんな感じだ)

メロンの味や香りがしないメロンパンでも、「それでも美味しいから、好き!」なのである。

また、「メロン風パン」や「メロン型パン」などという奥ゆかしい婉曲的な表現ではなく、メロンの味や香りをまったく取り入れていないくせに、潔く「メロンパン!」と言い放つ、メロンパンの持つその心意気にも惹かれる。

言ってしまえば「はったり」の一種だが、「はったり」であろうがなかろうが、要は、その存在そのものが魅力的であれば、最終的には、その矛盾を乗り越えさせてしまうほどに、ひとびとを惹きつけてしまうことができるというわけだ。
 
わたしは今後も、お行儀の良い「正しさ」よりも、ロックンロールな「はったり」に注目していきたいし、楽しいのであれば、喜んで、そのはったりにだまされていこうと思うのである。
 
大好きな「メロンパン」に想いを馳せるとき、いつもそんなことを思うわたしであった。

しかしながら、「かにパン」にはもう少し頑張っていただきたいところだが。

[ メロンパンのはったり。 ]オモシロ美人ブランディング。2016/08/25 23:21