メメント森。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

メメント・モリ(memento mori)という言葉がある。
これは、ラテン語で、「死生観」を表す言葉である。

簡単に言うと「(自身にいつか必ず訪れる)死を忘れるな」という意味を表す警句として知られている。
諸君もこの言葉をご存知の方は多いのではないだろうか。

わたしは最近特に、このメメント・モリについてよく考えさせられ、常に自分が死と隣り合わせであることを意識するように心がけている。

そして、先日、研究仲間とそれぞれの研究内容を「ああでもない、こうでもない」と色々と話していた…まぁ、要は雑談をしていた時に、ある仲間のひとりが言ったのだ。

「メメント・モリって、人の名前かと思ったー。」

…メメント森!!

そうか。「メメント・モリ」という言葉を知らない人からすると、メメント・モリは、「メメント森」という中南米あたりのどこぞの国の日系2、3世の人物と思われてもしょうがない。

どうでもいいが、わたしのブログにはよく「森」という人物が登場する。(ちっぽけなわたしたちは。
もしかしたら、この事実の意味するところとして考えられることは、「わたしが森という人物と結婚する」ということだ。

だから、神が遠回しにこうやってわたしのブログにちょこちょこと登場させて、わたしがそのことに気がつくかどうか、いたずら心で楽しんでいるのかもしれない。

神よ、あなたの魂胆はお見通しだ。

だから、可及的速やかに、わたしにその心優しきイケメンの森という人物とやらをよこしたまえり!!

話はそれたが、もし、「メメント森」という人物が存在したら、一体どんな森なんだろう、と考えずにはいられない。

ーーー
メメント森は、日系3世。
日本語は少しだけ喋れる。

「ワタシノナマエハ、メメントトイイマス。オジイサン二ニホンゴヲオシエテモライマシタ。
オジイサンハイツモ、『ヌレセンベイヲタベタイ』トイッテイマシタ。デモ、ワタシハヌレテナイセンベイガスキデス。」

と、自身と祖父のせんべいの好みを伝えられる程度である。

そんなMr.森は、村の人気者。

なぜなら、森は、困っているひとがいれば、自分の身の危険を承知で、村の住民を手助けをしたり、守ったりしてくれる、村の英雄的存在だからである。

例えば、小さな女の子がオオタカに連れ去られ、断崖絶壁に連れて行かれた時には、彼は命綱なしで100メートルの高さもある崖をよじのぼり、女の子を無事救出したり、村に餌を求めて迷い込んできたハイエナを、手製の石槍で「やーーー!」と追いかけ回し、村の外に追い出したり、独り身のおばあさんが病に伏せた時には、自分の寝食もそっちのけで三日三晩ぶっ通しで看病したり…。

そんな心やさしきメメント森のことを、村の住民はみな大好きで、森に対して絶大なる信頼を寄せているというわけだ。

そして、森のおかげで平和な日が続いていたある日、村に衝撃が走る。

ずっと子供が欲しいと思っていて、ようやく子供を授かることができた夫婦のもとに生まれた赤ん坊が、悪魔の森に住む魔女しか作ることのできない「秘薬」でしか治すことのできない重い病を患ってしまったのだ。

なにも治療を施さないと1ヶ月もたたず、命が絶えてしまうという病気である。

悲しみにくれる村の人々。

何故なら、悪魔の森に住む魔女は、人間の「生き血」が大好物で、もしその赤ん坊を救う秘薬を作ってもらうためには、魔女に生き血を、すなわち、生け贄を捧げなければならないからだ。

「かわいそうだが、赤ん坊をあきらめるしかないか…。」

村人全員がやっと授かることのできた赤ん坊の命を諦めざるを得ないという結論をくだそうとしたところ、

「待ってくれ。わたしが生け贄になる。だから、魔女に秘薬を作ってもらおう。」

メメント森が、自身が生け贄になると申し出たのである。

「わたしは、常に死を意識して生きて来た。明日死ぬかもしれない、いや、1分後にはこの命が絶えてしまうかもしれない、と。だから、わたしは、やりたいことはなんでもやってきた。助けたいひとや役に立ちたいひとがいれば、命をかけてそのひとのためにこの身を差し出してきた。不思議なことに、死を意識すると恐いものなんてなくなるのだ。だから、わたしはこの人生においてなにも後悔はない。未練もない。わたしの生き血を魔女に捧げて、秘薬を作ってもらおうじゃないか。」

森の勇気ある発言に、村のひとたちは黙りこくってしまった。
しばしの沈黙の中、一人の青年が立ち上がる。

「森!待って!僕が生け贄になる!森は生きなきゃならない。何故ならあなたはわたしたちの希望だから!あなたを死なせてはいけない!だから僕が生け贄になる!」

青年は自ら生け贄となると申し出た。
そうしたところ

「いや!わたしがなる!」

「いいえ!わたしが生き贄になるのよ!ぜったい女の血のほうが美味しいに決まってるわ!」

「いいや。ワシが生け贄になろう!所詮、じじいの行く末なんてたかが知れている。老い先短いじじいの血をやろうじゃないか。コレステロール値高めの脂の乗った美味しい血じゃよ。ふぉっふぉっふぉっ。」

と、村人がぞくぞくと「自分が生け贄になる」と名乗り出したのだ。
収集がつかなくなり、喧嘩が勃発しそうなほどである。

「ヤロー!貧血気味のてめえの血なんて美味しいはずがねえだろうが!その辺の鉄パイプでもしゃぶってやがれ!血気盛んなおれの血こそがふさわしいってなもんだ!」

「2000人に1人しかいない、AB型RHマイナスのわたしの血こそが、世界三大珍血ということで、重宝がられるわ!わたしこそが生け贄にふさわしいのよ!」

いつも冷静にみんなをまとめる森も、みんなの真剣な討論に、あわわあわわと大慌てである。

そうしたところ、そんな村人のやりとりを木の陰で聞いていた悪魔の森に住む魔女が、のっそりと村人たちの前に現れた。

「あーやめいやめい!!わかったから落ち着くのじゃ。わたしが今まで生け贄を捧げるように言ってきたのも、人間どもが死を恐れる姿を見るのがこのうえなく楽しかったからじゃ。だのに、お主らは、自分が生け贄になる!と豪語して、死を恐れるどころか、自分が死ぬと言って譲らない。まったく面白くない。そんなお遊びに付き合っているほどワタシは暇ではない。ほれ、これが秘薬じゃ。とっとと赤ん坊とやらに飲ませるがよい。」

そう言って、小瓶に入った薬を置いて魔女は立ち去ったのだった。

しばし顔を見合わせる村人たち。

そして、事態をようやく飲み込むことができ、みんなでハグをし合い、歓喜に沸いた。
大急ぎで薬を赤ん坊に飲ませ、赤ん坊はみるみるうちに元気になったのであった。

「死を意識して、勇気を出し、一歩踏み出すと、思ってもみない展開となる。」

そんな真理を村人たちはこの一件を通じて痛感したのであった。

そして、一番最初に生け贄になると申し出てくれた森の勇気を讃え、村人たちは、森に「ぬれせんべい」を日本から輸入し、プレゼントした。

森は「みんなありがとう!嬉しいよ!」と言いながらも、

「ホントハ、ヌレテナイセンベイガスキナノニナ…」

と日本語でつぶいた。

「ん?森どうしたの?」

と村人に聞かれた森は、

「いいや、なんでもないさ!よし、今から川にサンショウウオを獲りにいこうぜ!」

と言い、意気揚々と川へと続く道を駆け出したのであった。

ーー完・ 我らが英雄 メメント森 ーーー

このようにメメント森について延々と書くことができるということは、きっと森のような心優しい勇敢な男性がわたしの元に現れてくれることを暗示しているに違いない。

そう願わずにはいられない。

ロマンティックが止まらない。

ーーー

最近、わたしは「恐れ」について、この身をもって研究している(調子丸に乗って)わけだが、常々、思ってきたことがある。

誤解を恐れずに言ってみるが、

「将来が不安」という人は、どれだけ傲慢なのだろう

と。誤解を恐れずに言うと〜が使えた!!)

自分がのうのうとそんなに長生きできるというその自信はどちらからくるのだろう。と思ってしまう。

明日、いや、今日にでも終わってしまう命かもしれないのに、だ。

いくら安全と言われている日本とはいえ、事件、事故、病気、思いもよらない理由で、命が絶えてしまう可能性は誰にでもある。

将来のお金のこと、将来独り身でいる不安、将来起き得る経済的変化や天災のこと…。

その将来を不安と言い、その不安を埋めるために、今やりたくないことを頑張ったり、その不安にがんじがらめにされ、今身動きが取れずやりたいことをやれなかったり…。

もちろん!わたしも恐怖になることがある。
あぁそれもしょっちゅう。日常茶飯事だ。

上記のことは自分に向けて言っている戒めでもあるのだが、そんな時、やはりわたしは「死」を意識することにしている。

今までの人生におけるあらゆる場面で。
平凡なOLであるわたしが、このブログを書き始めた時。
毎度、好き勝手書いた自分の心のうちを、投稿する時。

いつも恐怖にさいなまれる。

「人からどう思われるか」、とか、「過去の記憶」や「未来への不安」が邪魔して、手が止まり、足が動かなくなってしまう。

しかしながら、「恐怖」を感じるということは、チャンスでもある。

「恐怖」を感じるということは、それはあなたが、「やりたい」ことであり、「進みたい」と思っているということなのだ。

それを「心」が教えてくれているのだ。

だから、わたしはそういう時「死」を思う。
まさに、メメント・モリだ。

不安になると、「明日にでも死ぬかもしれない」と想像し、ある意味「ヤケ」になってしまうのだ。

例えば、ブログを更新する時は

「恐い…。でも、もし明日死んでしまうとしたら、この記事を投稿して『こいつ頭おかしい』とか、『こいつ嫌いだ』とか、みんなにどう思われたってどうでもいいじゃんか。わたしは発信したいから発信する。てやんでぇ!もうなるようになれ!」

こういった感じで「ヤケ」になって投稿ボタンを押すのである。

不安になる→死を思う→ヤケなる→勇気を出す→新たな世界を知る→新たな不安に襲われる→やはり死を思う→そしてヤケになる→また勇気を出す→新たな世界を知る…

自分の人生を生きるとは、これを繰り返していくだけ、と最近つくづく実感しているのだ。
これを繰り返すことによって、本当の自分にようやく出会えるのではないか、と。

だから、今、恐れや不安で一歩踏み出せないでいる人に、ぜひ、わたしと一緒に、「ヤケ」になってみよう。

周りから「あいつ最近やけにヤケになってるなぁ」なんて言われるようになったらしめたものである。

自分でも

「わたしったら最近、やけにヤケになってるわ。こんなわたしを誰にも止められない。まさに「焼け石に水」!てへ、なんてね!」

といった感じで、頭をコツンとし、おどけるぐらいがちょうど良い。

あらゆる恐れで身動きが取れなくなった時。
将来への不安にうちひしがれ、何もする気にもなれない時。
過去のトラウマから、一歩を踏み出すことができなくなった時。

どうか、諸君もメメント森になって、半ばヤケになって、自分の心の望んでいることをさせてあげてほしい。
そう願うと同時に、わたしもそうしたいと思っている。

そしてまた同時に、あなたの周りの心やさしきイケメンの森がいたら、わたしに一報をくれると願わずにはいられない。

そんなわたしは、今日もこの投稿を発信するのはいくばくかの恐怖を感じているが、ヤケになって投稿するまでである。
なぜなら、恐いけれど、本心は「発信したい」と思っているからだ。

みなも「このブログに「いいね」を押すなんて、人格が疑われるかも!」なんて不安に思うかもしれないが、メメント森になって、ヤケになって、「いいね」を押してみるがよい。

ほかの誰でもない、わたしが喜ぶことだろう。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
恐怖にさいなまれた時は、メメント森となりヤケとなれ!

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[ メメント森。 ]オモシロ美人哲学。2016/05/21 13:56