マーケティングはマーケッティング。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

「マーケティング」という言葉がある。

わたしも、最近、折に触れよくこの言葉を発しているが、最近、この言葉の本質的な意味を捉えているかが不安になってきた。


そもそも、この「マーケティング」という言葉が世で使われ始めた頃のわたしは、「マーケティング」って、「ショッピング」のような類の言葉で、「スーパーマーケット等で、ウキウキと買い物すること。」、つまりは「マーケット」+「〜ing」で、「マーケティング」と思っていて、

「おうおうマーケティングって何やら楽しそうだぞ」

ぐらいのぼんやりとした印象しかなかった。

しかしながら、どうやらマーケティングとは、マーケットで、買い物かご片手にスキップしながら、「チャーミーグリーン」をかごに入れるという作業ではないようであることに、徐々に気がつき始めた。

しかも、マーケット+〜ingだと、「マーケッティング」となるのだが、そのあたりはどういうお考えなのだろうか英語圏の方々よ。

少し言いづらいが故に、小さい「ツ」をなかったものにしてしまったのだろうか。謎である。

気を取り直して、本家本元の「マーケティング」の意味を、世界のwikipediaさまより、下記に引用してみた。

マーケティング(英: marketing)とは、企業などの組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする」ための概念である。…。(wikipediaより引用)

なんと。

なんだか小難しくて、抽象的な気もするが、改めてマーケティングの意味を読んだことにより、昨今、誰もが口を開けば「マーケティング」、猫も杓子も「マーケティング」である理由がわかったような気がする。

この概念は、現代社会を生き抜く上で、非常に重要な概念なもののようだ。

ということは、だ。先ほどわたしが述べた、「ショッピング」に似て非なる方の「マーケティング」は、紛らわしいので、区別するために「マーケッティング」と呼ぶことを、今ここに、わたしは宣誓する。

マーケティングは、「顧客がその価値を効果的に得られるように、わたしたちが様々なことを仕掛けること」、であるが、わたしの提唱するマーケッティングは、「自らが顧客として、チャーミーグリーン等を購入すること」である。

なんというわかりやすい説明だろう。

というわけで、わたしがあなたに、「ちょっとわたし、マーケッティングに行ってくる」と言い残して出かけた際には、「あぁあいつはショッピングに行ったのだな」と認識してほしい。

そして、もし、チャーミーグリーンではなく、油汚れに強い「JOY」の方を希望するなら、早めに知らせてほしい。

というわけで、マーケティングについてわたしの持論を話をしたい。

マーケティング。

わたしたちの人生や日常は、国、思想、歴史、誰かの言葉による「マーケティング」によって、成り立っているのではないかと最近特に感じるのだ。

 

そして、わたしたちは、知らぬ間に、そのマーケティングによって、自身がマーケティングされているという認識もなしに、自分の置かれた環境、自分の能力などに対して一喜一憂し、時に自分を大いに責めている。

たとえば、偏差値の高い大学に進学するのが良いことだという思想が、世の中の受験生や浪人生、その親をマーケティングし、予備校への入学や、受験テキストの購入を促している。

 

たとえば、結婚して家庭を持ち、子供を産み育てるのが女性の古来からの本能的な役割だという専門家の提唱が、未婚女性をマーケティングし、結婚を焦らせ、結婚相談所への入所を促す。

それらの思想の発信者や、研究家による提唱が、マーケティングを意識しているか否かはわからないが、世に存在する様々な情報は、その周辺にいるひとびとによって、マーケティング化され、そのマーケティング情報によってひとびとが、右往左往する。

 

具体的には、世で言われている結婚適齢期をとうに過ぎているのに(これもマーケティング)結婚できていない自分を、

「わたしは結婚すらもできない魅力に欠ける人間だ!!」

と自分を責めたり(注:わたしのことではない。)、資本主義においてはお金は稼げないとだめだいうメッセージが、稼げていないもしくは稼ぐことにそもそも興味がなかった人間までも、

「わたしはお金すら生み出すことのできない価値のない人間だ!!」

と自分を責め始めたり…。

 

挙げたらきりがないほどに、ひとの欲求や、欠乏感を促進する、世の多くのマーケティング化された情報によって、わたしたちは、日々の生活の様々な選択をし、そして様々な感情を味わっていると言っても過言ではない。

しかしながら、わたしは、このマーケティングという概念について良い、悪いと言いたいのではない。

 

わたしたちは、この世の中に溢れるあらゆる情報は、すべてマーケティングであって、それらと、どう付き合い、どう自分に取り入れるかを考えるべきだと思うのだ。

 

わたしたちが、何かの情報に出会った時に、その情報が、自分に不足感を与える場合、その不足感を満たそうと、なんらかの行動を起こそうとする。

しかしながら、その前に、「おっとこれはマーケティングだった。」と、一旦呼吸を置く、その精神的余裕が必要なのだと思うのである。

 

その心構えこそが、今ありとあらゆる情報が溢れる現代、自身の心の平安を保ちながら、目の前のことを楽しめるかどうかにかかってくると、わたしは痛感しているのである。

 

もう、面倒臭いので、わたしたちの感情を左右するべく存在する情報は、すべてマーケティングであると、わたしは定義してしまおうととすら思っている。

 

 

そのように考えられないと、「女は痩せていないとだめだ」というマーケティングに、太っている自分を責め、高額なジムにその悲壮感のみを携えて駆け込む。

マーケティングによって換気された感情で、突発的に行動したことにより、実際に痩せることができ、一旦はその負の感情が払拭されたとする。

しかしながら、きっと痩せたその後も、「女性は歯並びが良くなければだめだ」という、今度は別のマーケティングに出会って、歯並びに自信がない自分への失望感のみを携え、審美歯科の門を叩く・・・。

きっとこのようなことを繰り返していくと思うのだ。


それが楽しいのなら全く問題はない。

しかしながら、それらに苦しめられているなら、そろそろ自分を楽にさせてあげてはどうだろうか。

 

すべてはあなたを購買行動に走らせる「マーケティング」にすぎないのだ。

なにも、ダイエットが悪いと言いたいわけでも、矯正なんて意味がないと言いたいわけではない。

 

ただ、誰がか、あなた自身を自分で責めさせて、不足感を感じさせることにより、購買行動に走らせるために発信している情報であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

そして、その情報を発信しているひとびとにも、そのひとたちなりの信念や正義がある。

 

ただ、それが絶対的にあなたに必要なものかどうかは人それぞれであるはずなのだが、その判断をそのひとになるべく与えないようにするのが、マーケティングなのだとわたしは思っている。

 

もしくは、その逆で、あなた自身に自信を持たせ、もっともっと高みを、とポジティブに上を目指すように促す情報である可能性もある。

 

それが良い、悪いでもない。

 

ただ、どうしても「できない」や「だめな」自分を責めてしまう時は、何かのマーケティング化された情報を、マーケティング化されているものだと認識を持つことなく、世の普遍的な真理ぐらいの、「絶対的なもの」と思い込んでいる可能性が高いということに気がつくべきであろう。

 

そのことを常に念頭に置き、これがマーケティングされた情報であることを認識した上で、

「じゃあ自分はどうしたい?」

と自分に問いかける作業が、現代社会において必要だと思うのだ。

 

わたしも、日々、気がつけば、そのマーケティング化された情報に苦しみ、自分を責めてしまうことが日常茶飯事だ。

 

そういう時には、

「そうだ。この悩みはマーケティングがもたらしたものなのだ。」

と認識を新たにし、心の平安を取り戻し、その上で、自分がそのマーケティング化された情報を取り入れること、また、体験することが、「楽しいかどうか」を自分に問いかけるようにしている。


「自分が楽しいかどうか」

「自分が心地よいかどうか」

「自分がこのひととかかわりたいかどうか」


マーケティングによって換気された情報ではなく、これらの基軸によって、ものごとの取捨選択が出来るように、日々トレーニングを重ねている。

 

最近で言えば、本格的に写真セッションを始めようと、前から欲しかった本格的なカメラとレンズを購入し、多くのひとの素敵な一瞬を切り取ることを嬉々として楽しみに準備をしている。

 

情報はすべてマーケティングであると思えるようになると、「今」に集中でき、「今の自分」を楽しむということが、どんどんできるようになってきている。

 

というわけで、世のマーケティング化された情報は、あなたを「マーケッティング」に走らせるためのものに過ぎないという一歩引いた視点で、取捨選択していこう。

 

もう、そのマーケティング情報であなたやわたしが不必要に苦しむ必要はない。

 

自分に対して、責める気持ちを持ち、悩み苦しむ時には、

「マーケティングは、マーケッティングだった!てへ!」

とアホっぽくおどけて唱えてみたら、それまで自分を責めていたことが一気に馬鹿らしくなるだろう。

 

また、マーケティング化された周りのひとが何かを言ってきたとしても、マーケティングに惑わされず、自分自身で突き進むあなたは、「いらぬおせっかいありがとう!」と爽やかに投げキッスでもしてやればよい。

 

そして、自分がいかに「楽しめるか」を一番に考え、陽気に、世に溢れる様々なマーケティングと付き合っていこうじゃないか。

 

というか、このわたしもブログだって、わたしによるマーケティングなのかもしれない。

そういう視点で、わたしの発信も見てもらいたいものである。

その上で、ぜひ、ご自身なりの「幸せ」を追求してもらいたいと思ってやまないのであった。

 

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉

自分を責める時は、「マーケティングはマーケッティング!」の呪文で一刻も早く楽になろう。

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[ マーケティングはマーケッティング。 ]オモシロ美人メソッド2016/10/26 18:17