マカ論。

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こんにちは。
Chacoです。
 
あなたはマカロンを好きだろうか。


 
マカロンとは、卵白、砂糖、アーモンドを使用し、中にクリーム等が入っていて、色とりどりの可愛らしい、現代を代表するスイーツである。フランスの代表的菓子として有名だが、その発祥はイタリアらしい。  

わたしはカメラが好きなのだが、マカロンは、まさにフォトジェニック(=写真映りが良い)な存在として、街中でやつを見かけると、カメラを取り出して写真に収めたくなり、ウズウズするものだ。
 
この小さく、可愛らしい菓子は、現代日本を席巻し、日本人を虜にし、日本人を盲目にしていると言っても過言ではない。

また、
 
犬も歩けばマカロンに当たる。
藪をつついてマカロンを出す。
鬼にマカロン。
花よりマカロン。
マカロンの利
 
このように、現代も重用されていることわざの、肝となる単語を「マカロン」と差し替えても、なんら違和感がないほどに、マカロンはわたしたちの生活に素知らぬ顔で溶け込み、侵食していることに、わたしたちは気がついていない。
 
わたしたちの心と体は、そのマカロンの、目にも楽しい可愛らしく丸っこいフォルムに徐々に蝕まれていることに早急に気がつかなければならないのだ。
 
わたしたちが、マカロンという小さな菓子に牛耳られているひとつの証拠をここに提示したい。
 
シンプルな質問である。
 
あなたは本当にマカロンが好きだろうか?
 
もしかしたら、「マカロンを好きな自分が好き」なだけではないだろうか。
 
マカロンが好きと言っていれば、8割方の男に「マカロンが好きとかこいつ可愛いな」と思ってもらえるだろうという打算あっての、「マカロンが好き」ではないだろうか。
 
本当の本当に、マカロンを心から愛しているだろうか。

今一度自分自身の胸に問うてほしい。 

いやだって、である。
マカロンは、メレンゲ(卵白を泡立てたもの)をメインに使っているのだが、わたしは、このメレンゲをメインに使っている菓子で心の底から「美味しい」と思えるものに、未だ出会えていない。
 
いや、メレンゲをメインではなく、サブで使っている菓子(シフォンケーキ、ベイクドチーズケーキ等々)においては、メレンゲはその食感に軽さやふんわり感を与え、それら「メレンゲサブ菓子」の美味しさにさらなる魅力を寄与しているといえるだろう。
 
メレンゲは偉大である。
 
しかしながら、メレンゲがメインの菓子(メレンゲメイン菓子)というと、下記の菓子が挙げられるが、どれも似たり寄ったりの味、食感であることは否めないだろう。 
 
・マカロン
・メレンゲ
・マシュマロ
・ダックワーズ
・アイシング
 
あれば、恐らく、食べるだろう。
そして、見た目はどれも、コロンとしていたり、色とりどりだったり、文句無しの様相である。

マシュマロなんて、無意識に、口にぽんと放り込むぐらいの、フレンドリーさと、手軽さを持ち合わせており、長らく日本のおやつに名を連ねてきた常連菓子である。
 
しかしながら、もしあなたが灼熱の砂漠に放りだされ、3日3晩飲まず食わずで歩き続ける中、喉カラカラ、お腹ペコペコの状態で、もし目の前に上記のような、メレンゲメイン菓子が突如として現れたらとしたら…。
 
「マカロンは好きだよぉ〜、でも、でも、なんで、今なんだよぉ〜今はよぉ〜マカロンじゃなくて水だろぉ〜〜?水が飲みてえんだよぉ〜。喉カラカラなんだよぉ〜〜今はマカロンじゃねえんだよぉ〜」
 
と言って、泣きながら、砂漠の上にうつ伏せになり、右の拳で、砂の地面を幾度となく叩くほどに、水ではなくマカロンが目の前にある事実に、途方にくれることだろう。
 
いくら可愛いとはいえ、喉が渇きに乾いている状態においては、口に入れ、飲み込もうとした瞬間に、マカロンの表皮は乾いた喉にへばりつくだろうし、ただ砂糖の「甘さ」によってのみ構成されているアイシング菓子に至っては、口に入れたら最後、その甘味により喉の渇きがさらに助長されることだろう。
 
これらメレンゲメイン菓子は、砂漠においては、おいそれとは手を出せないシロモノといえよう。
 
砂漠で求められるのは、やはり、水であり、また、水分があるという点では、メレンゲよりもチキンラーメンに軍配が上がることだろう。
 
そう。砂漠のような生死のかかった環境、人間の本能やサバイバル力が顔を出すような場面においては、これらメレンゲ菓子は、力なく、その可愛らしいフォルムを転がせている他ないというわけだ。
 
ということは、マカロンは、物が飽和した現代における、贅沢品であることが、今、明白となったわけである。
 

しかしながら、わたしたちが、「マカロン」に学ぶことは多くある。 
 
まず、名前である。
「マカロン」なんて、憎らしいほどに可愛いではないか。
 
これは、「マ行」と、「ラ行」と、「ン」の魔法である。
日本人は、この「マ行」と「ラ行」と「ン」の組み合わせに弱い民族である。

日本語では「栗」という渋い表現も、カタカナで「マロン」と表されればまず文句無しに可愛いし、「メロン」も絶対に可愛い。
「マキロン」だって、まさか消毒薬とは思えないほどに、陽気な可愛らしさを保持しているではないか。「マネロン」だって、その本当の意味を知らずに、名前だけを聞いただけでは、表参道あたりで並べば買えそうなスイーツのように可愛らしい。

 また、毎年発表される「名前ランキング」の女の子のTOP50を調べたところ、50の名前の読み仮名のうち、「マ」行、「ラ」行の両方、もしくは片方が入っている名前は、23もあったのだ!!(…本当は、もっと多いのではとの読みをしていたことは、ここだけの秘密である。)※ちなみに「ん」は2個であり、なんとも言えない数で、なんとなく都合が悪いのでここでは除外する。わたしには都合の悪いことは隠蔽するという特徴がある。

ただ、場所によっては、「マキャロン」と呼ばれる場合もあるそうで、そうなると、話は別である。

「キャ」と発音する際に、口角が結構左右に引っ張られ、また舌の奥の方を少し上顎方向に上げるという作業が必要とされるので、少々発音しづらい。

なので、発音する際の顔が、まずもってあまり可愛くなくなってしまう。
 
もし、「マカロン」が「マキャロン」であったら、現代日本においてここまで「マカロン」もとい「マキャロン」がもてはやされることはなかっただろう。

「わたし、マキャロンが好きなの。」と言う時の、「マ」から「キャ」へ移行する際の顔面のおぼつかなさによって、10人に1人ぐらいの男性は、あなたへのほのかな恋心を失う可能性があるかもしれない。
 

というわけで、わたしのマカ論。

上記に述べたような、日本人好きのする「名前」、コロンと無造作に置いておこうが、きちんと箱に並べていようが、どうであっても可愛らしく、見栄えのするあの「フォルム」、そして、日本において昔から愛されている「金平糖」のように、見ているだけでも楽しいし、幸せな気分になる、あの「彩り」。

これらが三位一体となり、「マカロン」という菓子を構成している。
 
たとえ、「味」という、食物に求められる基本的な機能的性質を備えていないにしても、それらひとつひとつの特徴が、現代もしくは日本人を魅了するに価するキャッチーな魅力を放っていて、それらが多くのひとの関心を集める所以となっているのではいか、とわたしは考えるのである。
 
歌がうまければ、トップスターになれるわけでもなく、美しくスタイルがよければ、必ずスーパーモデルになれるわけでもない。 
 
そのひとやモノの持つ、ひとつひとつの要素が組み合わさり、それが時代、ひとを無意識的に、もしくは無条件に魅了するものになり得さえすれば、「機能的」な要素は、現代においてはさして重要ではないのかもしれない。
 
わたしは、そんなことを、あの丸っこい砂糖菓子に思うのであった。

※わたしは、「マカロン」は、食べ物でありながら、その人気に匹敵するほど美味しいものではない前提で書いているが、マカロンを本当に美味しいと思っているひとを否定するものではない。味覚はひとそれぞれであり、そこに正常も異常もない。

ただ、多くのひとは、マカロンの「味」という機能の部分ではなく、なんとなく「マカロン」という存在を好きと言っておけばまず大きな間違いはないだろう、という目論見のもと、なんとなく「マカロンが好き」と言っているのではないかというかねてからの懸念より、今回はその部分に切り込んだまでである。

なので、本当にマカロンを愛しているのであれば、ぜひ、砂漠においても、マカロンを手にとってもらって構わない。

↓下の写真は、わたしが買ってきて、自宅で1時間くらいかけて、様々な角度、様々な配置を試し、試行錯誤しながら撮影したマカロン。・・・可愛い。本当マカロンの放つ存在感はすごい。

わたしも、すっかりマカロンに盲目になっているひとりである。

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[ マカ論。 ]オモシロ美人ブランディング。2016/08/14 13:38