レポ:ルイ・ヴィトン展③

FullSizeRender 7

こんばんは。
Chacoです。

泣いても、笑っても、今回で大好評を博したルイ・ヴィトン展レポートも終了である。
…終了の予定である。
…予定は未定である。

この冒頭部分を書いている間は、まだ今回で本当に終わるかはわたしでもわからない。
終わったかと思ったら、もしかしたらまだ始まっていなかったなんていう、まさかの大どんでん返しだって起こり得る。

「人生何が起こるかよくわからない」とはよく言ったものだ。

人生なにが起こるかわからないと言えば、わたしは、今日も意気揚々とブログを書こうとスタバにやってきたのだが、どうしたことか、わたしが陣取ったテーブルが、今まで出会ったことないほどに、ベタベタしていて、非常に困惑している。

もう、テーブル全体がベタベタしているので、これではさすがに気が散ってブログに集中できないと思い、お手拭きをもらってゴシゴシと拭いてみたが、それでもまだしつこくベタベタしている。

なので、店員の人に「ベタベタしているのですが」と告げ、台拭きで入念に拭いてもらったが、それでもなお、まだ少しベタベタしている。

おそらく、わたしの前に席に座っていた人は、何かものすごくベトベトするものを素手で食べ、その手を拭かずに、まるでテーブルを愛でるように、ベトベトした手で撫でくりまわしたに違いない。そうとしか思えない。

わたしもスタバを愛するひとりであるが、いくらスタバが好きだからって、雄犬がマーキングするかのごとく、ペタペタと己の痕跡をこれでもか!と残そうとするその態度はいかがなものか。

スタバはそんなことしなくても、あなたから逃げないから安心してほしい。

どちらかというと、未だ少しベタベタしているテーブルからわたしが逃げ出したい気分だが、店員の人に、入念に拭いてもらった手前、なかなか席を替えづらい。

しかも、ルイ・ヴィトン展について書こうと思ったら、スタバのテーブルがベタベタなせいで、こんなにも冒頭部分で足踏みをしてしまったではないか。どうしてくれよう。

このベタベタ星人め!スタバの平和とわたしの心の平穏を守るため、次に会ったら承知しないぞこのやろう!
てぃやーーー!!(飛び蹴りの練習)

・・・と、いうわけで、若干の怒りと不快感を感じつつも、強引にルイ・ヴィトン展レポートを続けようと思う。

「芸術は爆発だ!」という名言を残した岡本太郎のように、ベタベタ星人へのこのあふれんばかりの怒りでもって。自らのクリエイティビティに火をつけてやろうではないかと思っている。

ーーー

さて、前回、入り口付近で創業者ルイ・ヴィトンの生い立ちのパネルを眺めたところで、終わっている。

「旅」と「時代」の変遷と共に、様々な旅にまつわる機能的かつ人々を魅了するデザインの施された製品を次々と世に送り出してきた世界のラグジュアリーブランド「ルイ・ヴィトン」。

ルイ・ヴィトンが築いてきた歴史は、創業者であるルイ・ヴィトン青年14歳の時の、2年に渡るパリへの旅がルーツとなっているのではないか、なんてことを思ったと、前回述べた。

その後、とうとう中へと歩を進めていくのだが、わたしは、このような展示会や、美術館などに行くと、いつも緊張するのだ。

何故なら、芸術を楽しむ感受性を、あまり持ち合わせていないからである。

お恥ずかしながら、展示されている絵画などの作品のすごさがよくわからないのだ。

というより、全てが「すごい」と感じ、「なんだかすごかったなぁ」という取るに足らないような感想を心の中で漏らしながら、最後、ミュージアムショップで、熱にうかされて、冷蔵庫に貼るマグネットやら、本のしおりなどを買ってしまうタチである。

というわけで、人だかりができている作品のまわりにとりあえず行ってみて、多くのひとに紛れて、背伸びなどをしながら作品を眺める。

そして、「ほー」やら、「へー」やら「は〜」やらと、吐息交じりで、「は行」を口にしてみたりする。
また、特に何に納得したわけでもないのに、小さく頷いてみたいもする。

時間を使って、美術館まで足を運んだのだから、せめて見た目だけでも、芸術への造詣が深そうな凜とした女性でありたいと願うのは至極、当然のことだろう。ご理解いただきたい。

そんな美術館では常に気もそぞろなわたしは、「一生懸命に作品を眺めているひとたちは、一体どのようなところに注意して、鑑賞しているのか」という方が気になってしょうがないわけだ。

「あのバナナの影の部分はもっとエッジを効かせた方がいいなぁ」

とか

「おぉ、この空のグラデーション具合はなかなかいいねぇ。絵の具の配分が素晴らしい。」

とか

「この憂いの表情を表現できるとは、彼の心の闇はどれほど深いものだったのだろう?」

などと、事細かにその作品の技術的、感性的な部分を深く洞察しているのだろうか。

わたしのように

「わ、すごいみんな見てる・・・何?この作品の一体何がすごいのさ?ちょっとそこのあんた!頷いているけれど、何がわかったっていうわけ?わたしには豊満な裸婦が眠そうに横たわっているという事実しか認識できないし、わたしもあれだけ豊満だったらさぞウハウハだっただろうにぐらいにしか思えないのだけれどねぇ!あんたは一体この絵になにを見出したの?教えなさいよ!ねぇ!」

と、一見平静を装っているが、実際はみんなもその絵の醸し出す芸術性がよくわからず、わたしのように心は動揺の嵐だったら、面白いのに、などと想像してしまう。なので、いまいち、目の前の素晴らしい作品に集中できないのだ。

というわけで、わたしは一体、ルイ・ヴィトンが生み出してきた様々な芸術とも呼べる作品の数々から、何か感じ取ることができるのか、いくばくかの不安と緊張を抱えつつも、意を決して、中へ歩みを進めたのであった。

そしてなんと、今回はほぼ、ルイ・ヴィトンに触れることなく、わたしは終えようとしている。

ルイ・ヴィトンレポートと言いながら、ルイ・ヴィトンに触れないレポートがこの世にあるのかと、驚愕の事実に今わたしは驚きを隠せないでいる。

決して、1週間以上経ち、あまり内容を覚えていないからではないし、着地点を見失っているわけでもない。

冒頭に述べた通り、「世の中なにが起こるかよくわからない」とはよく言ったものだ、と、感心しながら、MacBookを閉じようと思う。と、同時に瞼も閉じてしまいそうである。

次回、ルイ・ヴィトンレポート涙の最終回、15分拡大版でお会いしましょう!

[ レポ:ルイ・ヴィトン展③ ]オモシロ美人レポ2016/06/29 23:01