自分リスペクト。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

3年前に、「嫌われる勇気」という書籍が発売され、ベストセラーとなったことは皆さんもご承知だろう。

わたしも購入して読んだ。途中まで。

なので、半分しか読んでいないわたしが「嫌われる勇気」を語る資格はないのであるが、今日いまここに、皆から「嫌われる(かもしれない)勇気」を振り絞り、わたしなりの「嫌われる勇気」について、思うことを書き綴ってみようと思う次第である。

最近、わたしは、自分をより信じるために、また、より自分軸で生きるためには、この「嫌われる勇気」・・・と言っても、特に、「自分が好きな人たち・自分を好きな人たち」から「嫌われる勇気」を持つことが、何より重要だと感じるのである。

ここで、勉強不足の生徒がいる可能性もあるので、念のため注意をしておくが、これは、わざと、好きな人から嫌われるような言動をとれ、ということではないのは、言わずもがなだ。

例えば、「嫌われなきゃ〜」と意気込みながら好きな人の目の前に駆け寄り

「ジブン、嫌われる勇気、イキマス!!」

と、一発大きな声で挨拶し、一礼したのち、その好きな人の右ほっぺに強烈なビンタを食らわして、

「嫌われ、イタダキマシタ!!押忍!!」

と元気に礼を言って、最敬礼したのちに、大きく回れ右して走ってその場を去る、というのは、ちと違う。

この時のいでたちはもちろん、柔道着に、丸刈り、裸足、思春期特有のニキビ面である。

そしてビンタをされたひとは、右頬を押さえながら、「嫌う」というか、ただの呆然自失となることだろう。

こういった、根性論の「嫌われる勇気」ではない。

もしくは、大好きな彼氏に、

「ねぇ、わたしのこと嫌い?」

と聞いてみたところ、

「え、何言ってんの、好きに決まってんじゃん」

と、単なる恋人同士のじゃれ合いと受け取った彼氏が「かわいいなぁ」と思いながら照れ笑いで返してきたので、

「えー、本当は、嫌いなんでしょ?知ってるんだから!わたしのこと嫌いでしょ?嫌いって言って!ねぇ!」

と言っても、

「…き、嫌いじゃないよ。好きだよ」

と返される…というのを100回くらい繰り返したのちに、とうとう彼氏が精神的に追い詰められて、

「あーーあーーそうだよ!お前のことなんか大っ嫌いだよ!あぁ嫌いさ!世界一・・・いや、宇宙一嫌いさ!なんならブラックホールに投げ込んでやりたいほどに嫌いだね!ひとりで宇宙の起源でも解明しに行きやがれってなもんだ!」

といったような、相手を精神的に追い詰め、衰弱させることで、挙句「嫌い」に導いていくという類の、「嫌われる勇気」でもない。

わたしが言いたいのは、「自分のやりたいようにやる」ことで、誰かに嫌われても、それがたとえ「好きなひと」から、であっても、「それはもうしょうがない」と割り切って一歩を踏み出す勇気である。

まずもって、それ以前に、自分が嫌いなひと、自分を嫌うひとに対して、「好かれよう」とか「嫌われた」と言って、気にやむ必要は全くないということは付け加えておこう。

なぜなら、そのひとたちは、あなたがどうなろうとも、何かにつけてイチャモンをつけて、嫌ってくるはずだ。

もしあなたが、そんな相手に「ねえ、わたしのこと嫌い?」と聞いたら、間髪入れずに、なんなら少し食い気味で「あぁ嫌いさ」と返してくるような輩たちだ。先の恋人同士のように100回のやりとりも必要なく、あなたが嫌われていることが、一瞬で白日の下にさらされるのだ。

こういう人たちには、とことん、気持ちよく、すがすがしく嫌われよう。
なにひとつ気にすることはない。

何より重要なのが、自分が好きなひとたち、そして、自分のことを好きなひとたちからこそ、嫌われても構わないと思えるかどうか、ということだ。

こちらは、正直、かなりの勇気を要することだろう。

好きなひとから嫌われるタイミングというのは、やはり「変化」の時ではないだろうか。

進学
就職
転職
昇進
退職
起業
新たな何かへの挑戦
新しいコミュニティに入る
既存のコミュニティから出る
外見の変化
内面の変化
・・・etc

数え上げればきりがない。

「嫌われる」という表現だと行き過ぎかもしれないが、あなたに対して、「興味がなくなる」、とか、「好きという気持ちが失せる」といったことかもしれない。

現実的な変化に直面した時、様々な感情を味わうかもしれないが、その中に「こんなことしたらあのひとからどう思われるだろう・・・」という不安という感情が湧きあがってくるのも、自然なことだろう。

しかしながら、こう思うタイミングは、あなたの大いなるチャンスなのである。

なぜなら、あなたの中に「こうしたい」という願望があるから、それに伴う、あなた自身の「変化」や未知への「チャレンジ」に対する、「他人の反応」を気にしてしまうのだから。

そこまでの強い思いでなければ、自分で自覚する前に、きっと、自分の中でうまくやり込めてしまっていることだろう。
それほどまでにわたしたち人間は、好きなひとの動向を気にしてしまい、無意識的に、逐一反応してしまう生き物だといっても過言ではない。

だからこそ、好きなひとに嫌われるかもしれない、という不安が現れた時、あなたの「こうしたい」という変化を望む願望が、その抑圧をぶち破り、ムクムクとあきらかになっている証拠なのだ。

そのような時に、「変わりたい」「やってみたい」という自分の気持ちを大切にできるか。

逆を言えば、「自分を好きになる勇気」を持てるかどうか。

ということだ。

「嫌われる勇気」=「自分を好きになる勇気」

であるとわたしは思っている。

実際、わたしたちが「嫌われてもいい」と思ってとった行動によって、好きなひとに嫌われないかもしれないし、より、あなたを応援してくれるひとが増えるかもしれない。また、その逆も然り。離れていくひとがいるかもしれない。

ただ、「自分自身」は、「自分」を信じてくれた「自分」を、もっと好きになってくれるだろう。
これだけは間違いないだろう。

あなたが、にっちもさっちもいかず、窮地に立たされても。
端にも棒にもかからない状態になっても。
あなたの周りに誰もいなくなっても。

「自分」だけは、どんな「自分」になってもそばにいてくれるのである。
どんなに「自分」を裏切っても、「自分」だけは、最期まで見捨てることなく、呆れながらも一緒にいてくれるのだ。

そう考えると、

自分、すごい!!
自分、まじリスペクト!!

というわけで、これからは、諸君もより、自分リスペクトを推進していこう。

「自分リスペクト週間」
「自分リスペクト月間」
「年間自分リスペクト計画」

を、企てて、邁進していこう。

ひとからどう思われるかな・・・という気持ちが浮かんできた際には、「お、自分リスペクトのチャンスだ!」と捉えよう。

たとえひとから嫌われようとも、「じぶん、自分リスペクトしてるんでそこんとこ夜露死苦!!」

とタンカのひとつでも切って、自分リスペクト街道を爆走しようじゃないか!

いいか!決して後ろを振り返るんじゃないぜ!べいべー!

と、少し、調子戻ってきたわたしなのである。(戻ってきたのか?)

まじ、自分リスペクト、なのである。夜露死苦。

[ 自分リスペクト。 ]オモシロ美人メソッド2016/09/15 23:34