痛くも、かゆくも。

image1-8-2

ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。
 
わたしが長年抱えているある疑問がある。

それは
「ヒトはなぜ、嫌われることを恐れるか」
という疑問だ。

この、「ヒト」というのは、
「脊索動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属」であり、とどのつまり、わたしたちホモサピエンスのことを指す。

よって、霊長目ヒト科チンパンジー属に属する「チンパンジー」は含まれないので注意してほしい。

ちなみに、チンパンジー属に属するのは「チンパンジー」とコンゴ共和國に生息する「ボノボ」のみということだ。

そして、この「ボノボ」の説明を見ると、

「チンパンジーに似るが、やや小形で顔が黒い。また、メスの地位が高く、多様な性行動によって緊張を緩和し、争いを避ける。」

と書いてある。

…多様な性行動!!

多様な性行動とは一体どんな性行動なのだ。
ボノボよ、ぜひ手取り足取り教えてほしい。

その性行動とは、ホモサピエンスである我々で言う、「◯◯プレイ」のことを指すのだろうか。

疑問は募るばかりである。

そして、「メスの地位が高い」ということなので、ボノボの間ではメスが主導となって、粛々と、多様な性行動が執り行われているのだろう。

・・・ドキドキするではないか!

いずれ、いちオモシロ美人研究家として、コンゴ共和國に飛び、ボノボの多様な性行動を学び、「ボノボに見る性行動の多様性と生物多様性」というテーマで、ボノボの多様な性行動を通じて、地球環境に貢献するような論文を執筆しようと今ここに誓う。

話は大きく逸れたが、わたしたちヒトは、ヒトから嫌われることを大いに恐れる。

きっと、ボノボはボノボに嫌われることを恐れていないだろうし、わたしたちと同様、嫌いだの、好きだのという感情があるのかも、よくわからない。生理的な相性はあるかもしれないが。

ただ、考えても見てほしい。
仮に、だれかに、あなたが嫌われたとして、それによって、あなたの体のどこかが痛むとか、体がかゆくてしょうがなくなるという直接的な「実害」はあるだろうか。

もしあなたが、誰かに、何か言ってはいけないひとことを言ってしまい、一瞬で相手に嫌われたとする。

その瞬間、相手の胸のあたりから、「ニョキ〜〜」とでっかいグーパンチが出てきて、あなたが、そのグーにヘドが出るほど殴られるというなら、それは絶対「嫌われたくはない」と思うだろう。

はたまた、その瞬間、相手の頭のあたりから大きな両手が「ニョキ〜〜」と生えてきて、あなたを思いっきりくすぐり、やめてと言っても、執拗にくすぐり続け、とうとうあなたはくすぐられ疲れて、気絶してしまう…。もしそうだったら、それは絶対に嫌われたくない。

要は、ボノボのような動物たちは、生命の危機を感じること、すなわち自分の身体に直接危害が加わるようなこと、危害を加えるような相手に対しては、大いに恐れおののき、警戒をするが、わたしたちヒトは、生命の危機を感じるような直接的、肉体的な害に加え、「嫌われる」といった、こちらではコントロールしようもない相手の「感情」をも大いに恐てしまう。

大いなる疑問である。

実際は、ひとに嫌われようが、「痛くも、かゆくも」ないはずなのに。

とは言いつつ、わたしも、ひとに嫌われるのは嫌だ。
どちらかというと、好かれたいと思っている。
好きなひとには、大いに好かれたいと思う俗な感情の固まりである。どうだまいったか。

この「ひとの感情を恐れる」という反応は、ヒトという生物が発達していく上で培われた何かへの「防衛反応」のひとつなのかもしれないし、利便性を追求して発展を続け、その生命への危機が著しく低下した人類社会がもたらしたひとつの弊害なのかもしれない。

というわけで、わたしは以前から、他人からの「好悪」を気にし過ぎてしまい、身動きが取れなくなった時は、これらのことを思い浮かべ、「よし。野生に帰ろう。」と言い聞かせてきた。

野原を駆け抜けるチーターは、自分が早く走ることで、秒速5センチメートルのナマケモノに「嫌われるのでは」なんて思わないはずである。

首の長いキリンは、首が長いことで高い木に生えている葉っぱを食べられることで、そんなに首が長くないシマウマに妬まれ、「嫌われるのでは」なんて不安に思わないはずである。

ただ、腹を空かせたライオンのことは、警戒し、恐れることだろう。

それでいいのではないか、と言い聞かせるのだ。

たとえ、嫌われたとしても、命に危険が及ぶわけでもなければ、身体も痛くもかゆくもない、と。
命があればいいではないか、と。

もし、諸君の中で、ひとに嫌われることや、好かれることについて、極度に気にしてしまい、その恐れによってしんどい思いをしてしまうひとがいたら、いったん、野生に帰ってみようではないか。

ヒトだって、動物である。
誰に好かれようが嫌われようが、命さえあれば、生きていけるのだ。

誰かに嫌われたって、その命にただちに危険がおよぶわけではない。

だから、シンプルに考えよう。

たとえ嫌われたって、本当の意味においては、「痛くも、かゆくも」ないのだから。

ちなみに、ボノボは、自分の性行動が、相手に好かれているか嫌われているかなんて、気にするのだろうか。
もしかしたら、気にするからこそ、多様な性行動の種類が生まれ、その中で「これぞ」という逸品を相手に差し出しているのかもしれない。

…さすが、霊長目ヒト科に属するだけある。
人間に近い感覚を持っているではないか!

・・・なんだかよくわからないまとめだが、わたしは野生に戻るので、諸君にどう思われようが「痛くもかゆくも」ない。
なので、諸君がたとえわたしのことを嫌おうとも、そんなこと気にすることなく、ここいらで筆を置こうと思う。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
野生に帰れば、嫌われることなんて「痛くも、かゆくも」ない。

P9151643

[ 痛くも、かゆくも。 ]オモシロ美人哲学。2016/08/05 21:35