「今ある幸せ」を感じられない自分も「あり」である。

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Facebookをほとんど見ないようにしました。

そうしたら初日から、見える景色が全然違って。

 

わたしにはすでに「あった」んだ!!って気がついて。

心が震えました。 

例えば

 

 

いつもは面倒臭い冷蔵庫を今まで見向きもしなかったゴムパッキンとか隅々まで掃除したり、玄関を水拭きしたり、泥まみれで2年間ぐらい履いていなかったブーツも、いつもなら、考えるのが面倒で「断捨離、断捨離」と言い聞かせて捨ててしまっていたものを、汚れを綺麗に落として、お出かけの時に久しぶりに履いてルンルンしてみたり。

今、自分に「してあげたい」こと、そして自分を取り巻く環境すべてを「大切にしたい」と、心から感じました。

しかも、それが「やらなきゃ」じゃなくて、「やりたい」と思って自然と体が動いたのです。

「きゃーなにこの感じ!」

わたしは、どれだけSNSに依存していたのだって。
わたしは、どれだけ自分にはない他人にあるものを、羨み、嫉妬し、自分を見ていなかったんだって。

そして、これが、俗に言う「今ココ!?」って悟りを得た気持ちになりました。

ピカピカになった後、すっごく気持ちよくて。ひとつひとつの動作がゆっくりと、丁寧になった自分にも驚きで。

例えば、豚汁の上にのせるねぎを入れた小皿にラップをかける時、今までは本当になにも考えず、びゃっと出して、適当にかぶせていたものを、ゆっくりと出して、ヨレがないように、綺麗に丁寧にかぶせている、そんな自分に驚愕して。(どれだけガサツだったのだろう・・・)

 
新しい世界に出会えた!!って、ひとり高揚して、最近全然楽しめなかったお笑い番組も、ガハガハと笑っていたりしました。
 
そして、ブログも、書きたい時がくるからその時に書けばいいさ〜と気楽になり、今の生活のひとつひとつを丁寧に味わっていこうと、心に決めました。ようやくこの感覚に目覚めたのだから、それがずっと続くのだろうと信じて。
 

でも・・・。

翌日の夜になると、あんなに、昨日は心晴れやかで、自分の気持ちに正直に、今の一瞬一瞬を丁寧に生きていこうと軽やかに誓った思いはどこへやら。

 
そうは言うけれど、
 
ブログ書かないと、読者のひとが離れていくのではないか・・・
このままなにもやらなければ、なにもやらないまま死んでゆくのではないか・・・
なんでこうもまるで躁鬱のように上がり下がりが激しく、中途半端でぶれぶれなんだろう・・・
昨年、わかったように書いていた投稿を全て消し去りたいあぁ恥ずかしい・・・
フォトセッションやると言ったけれど、本当はそうでもないかも・・・。でも社会人として、一度やると言ったことはやらなきゃだめだよね・・・
 
ぐるぐるぐるぐる。
 
頭では「こんなこと悩んでもしょうがない」とわかっていながら、心とくに「肚」のあたりが、もぞもぞと落ち着かない感じでした。
 

前日は敏感に感じていた、身体の「冷え」にも鈍感になっていて。首も冷えてるし、太ももも冷えてる。

そして、それを昨日は、タオルをまいたり、ひざ掛けで温め「なきゃ」じゃなくて、温めて「あげたい」という自分への慈愛の感覚だったのに、今日は冷えてることにすら気が付かないし、また、温め「なきゃ」という「なきゃ」の思考が牛耳っていて。

 
 
「あーもうだめだ。昨日分かった気でいたけれど、なにもわかっちゃいなかった。わたしこうやって悩んだまま死にゆくのだ」
 
と、全てが「ある」はずの自分に対して、「ある」と感じられない自分。まさに自暴自棄になっておりました。
 
んで、今日の朝も、引き続きそこまで気分は高くないにしても、それでも、少し、「なきゃ」の思考は弱まっていて。
 
で、少し冷静になりました。
 
そして、そういうことか、と。
 
少し見えた自分の心からの「喜び」。
 
自分を大切にし、慈しむということ。
 
それが翌日、見事に自分の中から消え去ってしまい、見えなくなった時の恐怖。
 
 
でも、その恐怖ですらも、やはり「今ここ」を感じ「なきゃ」の思考が、自分をいじめて、生み出したもの。
 
だったら、それを体得していくことに、時間かけることを許してあげよう。
 
「今ある幸せ」を感じられていない自分でも、そうかそうか、今日は丁寧に生きられないか。でも、それをわかっているだけでOK。「今ある幸せ」を感じられていない「今の自分」を感じればいい。
 

「オモシロイ」ことも好きだし、「心」のことも好き。わたしはどっち?何をしたいの?何を言いたいの?と、自分を責めることなく、その時に「発信したい」と思ったことをそのようにさせてあげる勇気。

将来どうなりたいかよりも、「今」の自分のやりたいようにやらせてあげる勇気。

 
それが自分に、今大事なことなのだ。 
 
そんな風に思えてきたのです。
 
 
それに気がついたらはっとして。
 
いつもプロセスをすっとばして、一足跳びに行動してしまってきたわたし。
 
でもその瞬発力のおかげで、今のわたしがあるし、それもそれで大切な財産。
 
 
でも、その瞬発力を最大限に生かすためには、鈍臭くて、未熟な自分を認めてあげること、どんな自分でも許してあげること、それが大事であることを。
 
ここぞという時の瞬発力を持続するためには、光と闇、ポジティブネガティブ、ずべての面における自分への「許し」が何よりも重要だって。
 
そして、本や、誰かの言葉で、幾度となく聞いてきて、わかった気でいた言葉や真理を、自分の人生で、自分の生活で、ふと腑に落ちる瞬間がある。
 
その気づきを積み重ねていこう。
 
まだまだわたしはトレーニング中で、おそらく、人生ずっとトレーニングなのだ。
 
人生=トレーニング。
 
だから、このブログもまだまだ自分目線だなぁ〜って思うけれど、少し見えてきた「自分への慈愛が満たされて初めてひとに愛を伝えられる」という真理を心に留め、今はひたすら「なきゃ」でがんじがらめになっている自分を許していきたいと思います。
 
「ひとりごと」をここまで読んでくださってありがとうございます。
 
あぁ、本当に自分には「あった」けれど、「ある」ことを認められないことを責める自分も「ありだよ。」と自分に、これでもかと、しつこいほどに伝え続けていこうと思います。
 
そして、それを書きたい時にか期待ことを書きたいように書いていこう。
 
[ 「今ある幸せ」を感じられない自分も「あり」である。 ]ひとりごと。2017/01/09 15:36