ハリボテのうぬぼれ。

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こんにちは。
Chacoです。
 
今回は、かなりの、本音を書きます。 
 
今、わたしが感じていることを、率直に書いてみたいと思います。
批判を受けたり、不快な思いをさせるひとがいることも承知で。

今週末にわたしの初めての講座をやる予定なのですが、正直に言うと、目標人数に対して、まだまだひとが集まっていません。 

まず、その中で、このわたしの急ごしらえの講座に「来たい」と思ってくださって、遠くからでも近くからでも、貴重な時間と安くはないお金を割いて来てくださる方々の思いが、本当に嬉しくて、なんだかここ数日、ちょっとしたことで涙がこぼれそうになるほど、良くも悪くも様々な感情を味わっています。
 
 
来てくださった方に、「来て良かった」と思ってもらえるような、そして、わたしもだし、協力してくれる大切な仲間にも、「ここにいて良かった」と思ってもらえるような時間にしたいと思っています。必ず。
 

それでね。 

 

今回、痛感したのは、自分への「うぬぼれ」です。

 
ある時から、急激に「いいね」の数や「フォロワー」と呼ばれるひとが増えて、一見して「影響力」があるように見えるようになった「ハリボテ」である自分への「うぬぼれ」。
 
 
誰かに

「すごいですね。」

って褒められると 
 
「いやいや、わたしなんて全然…」
 
とは謙遜しながらも、心のどこかで、その「うぬぼれ」がチラチラと見え隠れしていたように思います。
 
 

ただ、そのうぬぼれがあったからこそ、今回の講座を「やってみよう」と思えたのだと思いますし、そのうぬぼれが一概に、「良い」「悪い」と言えるものでもないと思っています。

 
あるひとが言っていました。
 
 
「その人の影響力に「いいね」の数なんて関係ない。「いいね」なんて1秒も、1円もかからずに押すことができる。「いいね」の数と、そのひとの提供するものをお金を出して「欲しい」と思うかは、全くの別問題。」 
 
 
本当、そうでした。 
 
 
自分が「ハリボテ」であることを後ろめたく感じつつも、「やってみたら意外といけるんじゃないか…」という思いからの、単なる「ハリボテのうぬぼれ」でした。
 
 
でも、やはり現実は、そう、甘くはなかったみたいです。
というか、現実は、わたしがただの「ハリボテのうぬぼれ」だったことをわたし自身に証明してくれました。

 
現実が甘くなかったのではなく、わたしが甘かった。
ただそれだけ。

でも、そのことに気がつけて、良かったです。
  
 
かくいうわたしも、日々、あまり深く考えずに、ひとの投稿に「いいね」を押していました。 

「仲間が頑張っているから」とか「この前いいねを押してくれたから」とか。
 

些細な理由です。
 
 

その中で、本当に心が揺さぶられての「いいね」はいくつあったのだろう。
自分はどんな基準でもって「いいね」を押しているのだろう。
 
 

そんなことを今思い返しています。

 
そして、「いいね」を押したからって、そのひとが提供している「商品」を必ず買うかといえばそうではないし、そのひとの動向を逐一観察しているかというとそうではない。
 
 
翻って、「いいね」も押したこともなければ、普段気に留めていなかったひとの、ふとした時に目に入った投稿に深く感動して、気がつけば、そのひとの商品を買っている自分がいたりもする。 

 
そして、あるひとが発信すると、真っ先にその投稿を見たいと思い、毎回「超いいね」を押さずにはいられない自分がいたりもする。 

 
「いいね」って、一体なんなのでしょうね。 

 
「いいね」をたくさんもらえたら単純に嬉しいですし、励みにもなります。
 一見すると、影響力があって、自分のことを慕っているひとがたくさんいるのかも、と思うこともあります。 
 
 
事実、投稿に「いいね」がたくさんついて、本当の意味で影響力や発言力を持って、人々を惹きつけるひとはいる。
 
 
でも、その人は、「いいね」の数なんて関係なく、そもそも有無を言わさぬ影響力を持っているひとであるだけ。
その人にとっての「いいね」は単なる副産物。

 その一方で、「いいね」の数はそれほど多くはないけれど、濃い人間関係を構築していて、きちんとビジネスを確立して、お互いに良い影響を与え合っているひともいる。
  

「いいね」は単に数を集めるものではない。

 
なぜなら「いいね」を押す基準は、ひとそれぞれで、そこに正解も不正解もないのは明白だから。
 

だから、その価値基準がさまざまだけに、「数」に少なからず翻弄される自分からは、そろそろ卒業しないとな、なんて思いました。 
 

そして、このような気づきは、やはり、実際自分で、動いて、体感しないとわからなかったと思います。
だから、今回、講座をやるって決めたわたしですが、そのうぬぼれが背中を押してくれたのなら、それはそれで良かったとも思いっています。 

ハリボテのまま動かずにいたら、自分がハリボテであることはきっとわからなかったから。 
ハリボテは動いて、はらはらと張り子が落ちることで、初めて自らがハリボテだったことに自分で気付けるから。

これからは、裸一貫で勝負していけるような、そんな、自分で在りたいと思います。 

というわけで、

 
読んでもいないブログのシェアに「いいね」を押されても全然嬉しくないし

「おはようございます」とかコメント欄に唐突に残されても正直、不快だし
 
わけのわからないスタンプだけをコメント欄に残されるのも、なんか嫌だし
 
1分間ぐらいで、20個ぐらいの投稿に「いいね」を連打されて、同じひとの顔でお知らせ欄が埋め尽くされるのはもはや恐怖です。

 
ふぅ。これが、ずっと、言いたかったけれど、言えなかったこと。
 
 
わたしは、これまで以上に、自分の言動に、素直でありたいと思っています。
もしかしたらそれはあるひとを遠ざけるものになるのかもしれません。

それでもなお、自分の気持ちを尊重し、リスペクトしていく方を選びたいと思います。
 

そして、そんな裸一貫で貧相なわたしの未熟さを含めて、素直な言動に共感、もしくは、「そんなお前でも」と思って乗り越えてやってきてくれたひとに、全力でわたしが伝えられることを伝えていきたいし、良い影響をお互い与え合っていきたいと思っています。

 
大勢のひとから八方美人的に好かれるタイプではそもそもないので、そんな自分でも好きでいてくれるひとを、全力で大切にしていきたいと思っています。
 

えーと、もはや、こんなこと書いておいてあれですが、ぜひ、お時間のある方、来てください!

 
わたし自身がそうであるように、自分をもっと好きになって、自分の気持ちに素直に生きたいと思うひとを全力で応援していきたいし、わたしも一緒にそう在れるように、一緒に、上昇気流に乗っていきたいと思っています!

「何か」ではなく「自分自身」を際立った存在(ブランド)にしたい。
 
自分をもっともっと好きになりたい。
 
「自分」を生かして仕事をしたい。
 
自分の「好き」と「嫌い」を知って自分に好きなことを
 させてあげたい。
 
ひととは「一味違う」情報発信をしたい。

やりたいことへ踏み出す「勇気」と「決断力」
 がほしい。
 
一度の人生。好きなひとと一緒に、好きなことをして
できるだけ笑っていたい。

上記のような、わずか10ヶ月前のわたしのような願いをもっているひとに
何かきっかけとなるような機会にしたいと思います。

「自分リスペクト。
〜情報発信で人生を変える〜」1day講座
http://chaco-blog.com/lp/respect/
 

 
きゃーーー久しぶりのブログ更新なのに面白さゼロ!!
 
でもね、書きたいことを書く自分、そんな自分にも許可を出していこうと思います!!

よーし、セミナーコンテンツの続きつくろ〜っと。

 

 

 

 

 

 

 

[ ハリボテのうぬぼれ。 ]ひとりごと。2016/10/11 17:49