「牛すじ煮込み」に見る幸せのカタチ。


昨日、牛すじ煮込みを作った。

わたしは、牛すじを煮込む際に、「幸せ」を感じるのである。

「幸せ」とはなんだろう。

それは人の数だけ…いや、それ以上に無数にあって、こんなにも唯一無二の正解がない問いは、0×∞(無限大)という方程式に、永遠に解が見出せないのと同等ではなかろうか。

わたしの「幸せ論」を論じる前に、まずは、「牛すじ」というものについて、理解を深めたいと思う。

牛すじ。

それは、牛のすじ。

それは、牛の中でも、硬く筋張った肉、たとえば、スネやアキレス腱など、「腱のついた肉」を指す。

そう、牛すじは硬い。

だから、牛すじは、安い。

上質なお肉の牛すじでも、「ロース」はお高いが、「すじ」というだけで、値ごろ感がある。

同じ牛でも、部位が違えば、値段に差が出る。

でも、安い「すじ」でも、煮込めば、ヒレを凌駕するほどに美味しくなる。

手をかければ、かけただけ、すじは、より、素敵に、輝きを増すのだ。

この「お金ではなく手足を使って、手間をかけて、より良くする。」

という行為に、わたしはどうやら、「幸せ」を感じるたちのようなのだ。

いや、正確に言うと、「目の前のことを、手足を使って手間をかけて、丁寧に処理することを楽しめる心の余裕」というものに、地味だけれど、わたしなりの「幸せ」を感じるようなのだ。

牛すじを柔らかく煮込むのはなかなか面倒である。

水から茹でて、沸騰したら、ざるにあけ、あくがなくなるまで同じことを何度か繰り返す。

あくがなくなったら、ようやく、他の材料や調味料と一緒に煮込み始める。

昨日は結局1時間半ほど煮込んでできあがった。


柔らかくて美味しかった。腱の部分は、プルプルとろとろ、肉の部分はとろけるような柔らかさであった。

手間ひまかけて、さなぎが蝶に羽化するように、「牛すじ」、改め、「スージー」という、金髪で、そばかす顔、先日トムに「君と別れてベティーと付き合う。ぼくは実を言うとベティーのようなスリムな子が好きなんだ。君はぼくの基準からすると少々小太りなんだよスージー。」という捨て台詞とともに、振られたばかりのス−ジー。あまりのショックで、おいおいと泣き、日々枕を濡らし、心も体も硬直してしまっていたけれど、スージーは一念発起。そんな心も身体もカチコチの自分とはおさらばするのだという強い決意のもと、近所のベンジャミンおじさんが経営するヨガスタジオの門を叩き、トムを見返してやると言わんばかりにヨガに勤しむ日々。身体の柔軟性を高め、心もどんどんしなやかに、どんどん美しくなっていくスージーを、ポプラ並木のストリートで、トムは偶然見かけた。まさにトムの理想のスリム体型を実現したスージー。そんなスージーに引き寄せられ、思わず声をかけようとトムはふらふらと一歩踏み出すも、隣のベティにしかめっ面で腕を引っ張られて、「ばか!」と持っていたアイスクリームを顔にぶつけられ、顔面チョコミントまみれのトムであった。

 

そんな感じ。

牛すじが、最初は硬くて醜い状態だった手間をかけて煮込むことで、より柔らかく、魅力的な姿になるように。

スージーが、絶望の淵から這い上がり、自分に手間をかけて、よりいっそう素敵な姿になっていったように。

目の前のことを、丁寧に、手間をかけて、穏やかな気持ちで接することを通して、自分を慈しんでいきたいと思う今日この頃です。

 

 

 

[ 「牛すじ煮込み」に見る幸せのカタチ。 ]心の話。2017/07/16 10:59