フニオチル。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

オモシロ美人の研究に余念のないわたしは、先日、断食合宿に参加してきた。

以前、突如、思いつきで断食に取り組み、夕方頃に猛烈な空腹に耐え切れずに、ラーメンとケーキを食べてしまったという話は皆の記憶にも新しいところだろう。(責めない練習

断食に普段定期的に取り組んでいるひとからすれば、断食明けにラーメンを食べるなんて、「ぎょぎょぎょ!」とさかなクンばりの驚きを隠しきれない様子だった。

ちなみに、以前NHKの公式Twitterアカウントで、「さかなクン」と発言した際に、『「さかなクン」じゃなくて「さかなクンさん」だろ?敬称をつけろ!』という抗議が多く寄せられ、NHK公式アカウントが謝罪するということがあったようだ。

しかしながら、「デーモン閣下」や「なかやまきんにくん」などにも同様の抗議を寄せるひとたちによる、いわば大掛かりな冗談だったようで、NHK公式アカウントもそれを知り安堵したとのこと。(wikipedia参照)まぁ我々にとってはどうでもよいことである。

それよりなりより、さかなクンは御年40歳ということを知り、思いもよらない年齢に「ぎょぎょぎょ!」としたわたしである。

と同時に、いつまで自らを「クン付け」で呼ばせるのだろう…と、魚に首ったけの高齢男性が自らを「さかなクンだよ!」と名乗り、ことあるごとに「ぎょぎょぎょ!」と発していたら…、と、ひとり途方もなく「老さかなクン」に思いを馳せる日曜の昼下がりである。

話は断食に戻るが、断食後には、空っぽの胃腸に入れたものが、強く脳に記憶され、その食べ物への執着が強くなり、今後もそれが食べたくなるようだ。

なので、断食後にラーメンを食べるなんて言語道断で、かつ小麦製品は中毒性があるので、なおさら断食後の食としてふさわしくないというのが、健康について学び、健康リテラシーの高い人々の見解である。ごもっともだ。断食後にラーメンなんてあり得ない。そんなことするやつの親の顔が見てみたいってやつだ。

もし、今後、3食ラーメンのみを食べ、ラーメンに忠誠を誓い、後ろの毛を三つ編みで結び、口ひげを細くびよんとたくわえた上で、自らを「ラーメンマン」と名乗るぐらいの覚悟があるのであれば、断食後に心ゆくまでラーメンを食べるがよい。
…ちなみに、ラーメンマンには敬称である「さん」は必要なのだろうか、キン肉マンさんよ。

というわけで、断食明けの食事に話は戻る。
上記の理由により、断食明けの食事は、新鮮な生野菜を使ったサラダをゆっくりと食べることにした。

約40時間固形物を口にしなかったわたしにとって、このシンプルなサラダがことさらに美味しく感じた。
味覚が敏感になるようなので余計だったのだろう。

まさに五臓六腑に染み渡った感じである。

五臓六腑とは、

五臓とは肝,心,脾,肺,腎の5つ,六腑とは大腸,小腸,胆,胃,三焦,膀胱の6つをいう。東洋医学で内臓の総称として用いられてきたが,今日の解剖学的知識とは必ずしも一致せず,また三焦が何をさしているのかも明確ではない。(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

ということで、大まかにいうと、内臓の総称といったところだろうか。

そして、「腑」といえば、「腑に落ちる」という表現があるが、様々な考え方や、方法が、「頭」ではなく、「腑」に宿るとされる「心」に入ってきて、それらを「わかる」、「納得する」という意味として使われている慣用句である。

わたしは最近、人生において、何かを決断する際に、この「腑に落ちる」ことの重要性をつくづく実感しているのである。

ーーー

わたしは最近、若干の窮地に立たされている。

今まで、ストレスフリーの職場で、気の合う同僚と、満足なお給料をもらいながら、楽しく仕事をしていたのだが、なんと事態が急転。辞めざるを得ない状況になりつつあるのだ。

長くなるので詳述は避けるが、解雇とかそういうことではなく、仕事はあるものの、今まで通りの場所で同じ仕事ができるわけではなく、現時点ではどこで、どのような仕事を任せれるかもわからないという、まさに五里霧中状態にいるのである。

とは言いつつも、「ピンチはチャンス」。
安穏とした生活を送り、なんとなく本気に向き合えなかった今後の人生のプロセスについて、真剣に考えさせられる良いきっかけをもらえたと捉えている。
そこまで悲壮感は抱いていないのは、紆余曲折を経て今や能天気になった自分に感謝である。

自分のやりたいことはなんなのか?
自分が人様に提供できる価値はなんなのか?

「書く」ことを中心に仕事をしたいと思うわたしは、日々様々な思いをめぐらせ、このブログ以外に、実際に自分が取り組めそうな現実的な行動について思案し始めた。

しかしながら、いくら能天気なわたしでも、時に「焦り」と、「これでいいのかな」という漠然とした不安には襲われる。
そうなると、やはり心が落ち着かず、ブログの更新にも滞りが生じてしまっていた。

なおかつ、自分が実際にどういったことに取り組めばよいのか、考えれば考えるほど、どんどんわからなくなってきたのである。

そして、悶々とした思い出ここ数日過ごしていたのだが、あることを思い出したのだ。

「あぁそうだ。考えても不安になる一方のことは、とりあえず置いておくのが賢明だった」と。

ーーー

実は、以前も、現在の職場から給与の面で転職を考えていたところ、良い条件で別の転職先に内定をもらった。
しかしながら、その後に、現在の職場が、考えられないような給与アップの提示をしてくれて、引き止めてくれたことがあったのだ。

というわけでわたしは、

「せっかく知り合いが紹介してくれて、内定をくれた会社に、新たな気持ちで移るべきか」

もしくは

「内定をもらった会社よりは若干待遇は劣るけれども、現在の恵まれた環境で、かつあり得ないと思っていた待遇を提示してくれた今の会社に残るべきか。」

この二つの選択肢で大いに迷ったのである。

猶予も一週間を満たないほどで、考えれば考えるほど、どちらの選択も納得いくし、どちらの選択もそれなりの弊害が予想できた。
本当に決められずに途方に暮れていたのだった。

ということで、とうとうヤケになったわたしは、この選択を一旦手放すことにしたのだ。

猶予は少なかったが、きっと、自分のことだから、自分がより良い選択をしてくれるはずだろうと、半ば投げやりな感じで考えることを放棄したのである。

というわけで、あまりそのことを考えずに過ごしていたところ、さっそくその翌日。会社からの帰り道、忘れもしないとある大学の構内を通り抜けながら家路に向う途中、唐突にその答えは舞い降りた。

「今の職場に残ろう」と。

なぜかはわからない。
けれど、ふとわたしの中にこの「決断」が湧き上がってきたのだ。

まさに「腑に落ちた」と感じたわけである。

わたしの頭ではその根拠は見つけられないが、わたしの心がきちんと、わかってくれたように思ったのだ。
根拠がないにもかかわらず、そこに迷いはなく、心が一気に軽くなったのを今でも覚えている。

というわけで、わたしは現在の職場に残ることにしたわけである。

そして、その時は思いもよらなかったが、その決断のわずか3ヶ月後に、このブログを始めたわけで、もしかしたら未来のわたしが、「こっちを選んだほうが何だかオモシロいことが起こるよ」と教えてくれたのかもしれないと、今では思っている。

恐らく、新しい職場に移っていたら、このような展開にはならなかったと思うのだ。
覚えることもたくさんあっただろうし、ブログなんて書く余裕はなかったはずである。

というわけで、話は現在に戻るが、以前と同様、わたしは今、正直、どのように動いたら良いかわからない。
考えれば考えるほど、わからなくなってきた。

なので、以前わたしが取り組んだ「迷い、決断すべき事柄を、一旦手放す」という方法で、当面は今と変わらずに生活をしていこうと思う。

今まで同様、変わらずにブログも更新していきたいし、日々を楽しみで満たしていきたい。
(路頭に迷う可能性があるにもかかわらず!泣き笑い)

きっと、自分にとっての心地よい選択を、絶妙なタイミングで、自分が、もしくは何かが、もしくは誰かがわたしに気づかせてくれる、すなわち、「腑に落ちる」時がくると信じて。


というわけで、皆も、何か決断を迫られた時や、いくつかの選択肢で迷っている時。
もしくは、全くもってどうしたら良いか分からない時には、もう頭の中であれこれ考えて、根拠を求めようとするはやめてみよう。

無理に答えをひねり出すのはやめてみよう。

すこし恐いと思うかもしれないが、本気で、一旦考えないでみるのだ。

考えるのを手放すと、思いもよらないタイミングで、求めていた答えが目の前に否が応でも現れてしまうものである。

今までの経験上、わたしはそう信じている。

わたしも恐いけれど、悩みに苛まれて今の満たされた幸せを享受することができないならば、悩むことを放棄して、「今」この幸せを感じ切ることに挑戦していこうと思う。

そして、何か心の中に湧き上がってくるのを、少しの不安をお供に、楽しみに待っていようと思う次第である。

また、何か進捗があれば、諸君にも報告しよう。
楽しみに待っていてほしい。

…しかしながら、もし以前、新たな職場への「転職」を決断していたとしたら、その職場にナイスガイがいて、会った途端にお互い一目惚れ、1ヶ月後にスピード婚で、現在ラブラブ…なんていう展開もあったかもしれないと思うが、「それよりもわたしはオモシロ美人研究家としてブログを書いていた方が幸せなんだバッキャロー」と、いくばくかの負け惜しみにも取れる罵声を、誰にともなく発しつつ、今日のところは筆を置く次第である。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
何かに行き詰まった時は、一旦手放し「腑」に落ちるまで待つべし。(↓この気ままな猫のように)

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[ フニオチル。 ]オモシロ美人メソッド2016/06/19 12:49