「出る杭は打たれる」ことでしょう。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

ここらへんで、もう一度、わたしの研究内容のおさらいをしておこう。

一番最初の記事「オモシロ美人のすすめ」でも触れているが、
わたしは、自ら「オモシロ美人」になるべく、また、
誰もが「オモシロ美人」になって、自分自身がブランドになってほしい
という願いをこめて、日夜研究に没頭している。

しかしながら、このオモシロ美人の意味をはき違えている不届き者が
多く存在するようだ。誠にけしからんことである。

「オモシロ美人」とは、一見美人であるが、話をしてみると面白おかしくて
容姿とその内側のギャップでもって、人々を魅了してやろうなんていう
浅はかなものではない。

オモシロ美人の「オモシロ」とは、自分自身ととことん向き合い、自分自身を
深く知ることで、自分がいかにユニークで唯一無二のブランド=「オモシロイ
存在」であることを知ることである。

そして、オモシロ美人の「美人」は、そんな唯一無二のオモシロイ自分を愛し
自分自身を尊く、「美しい存在であると認める」ことである。

間違っても、スターバックスで、カフェミストなどを飲みながら、ニヤニヤと、
昭和なギャグ満載のブログを書いて、コメントで「オモシロイ」などと言われた日には、
くっくっくっと背中を丸めて、ひとりほくそ笑む、そんなネクラな女だけには
成り下がるのではないぞ。よいか!

…はて。どことなく胸くそ悪い気分なのは気のせいだろうか。

まあいい。それでは本題である。

本日は、「出る杭は打たれる」ということわざについて考えていこう。

ーーー
「出る杭は打たれる。」ということわざがある。

これは、杭が出ているので、それを大金槌のようなもので、地面にどーんと打ちこまれる様子を
表しているのだろうか。

いったいぜんたい、これのどこが「ことわざ」なのだろう。
「ことわざ」とは端的な表現の中で、生きる知恵や教訓を表したものであるはずだ。

「杭が出ていたので、それを打った。」

これのどこに教訓を見出せるのあろう。
単なる日常の一コマではないだろうか。

「きょおは、がっこうにくるとちゅうで、くいがでていたので、いっしょうけんめい、うちました!」

そんな小学生の時に、日直の児童が朝の会で発表する「きょうのひとこと」レベルの内容である。

わたしだって、もし道を歩いていて、杭が中途半端に出ていたら、「危ないなぁ」と思うし、
「だれか地面に打ち込んでくれないものか」と心の中で願うだろう。

そんなもの、打たれるように出ている杭が悪いのだ。

そして、杭だけではない。

釘が出てたら、打つ。
腹が出てたら、引っ込める。
出した拳を、引っ込める。
鼻水出てたら、吸い上げる。
胸が出てたら、男よろこぶ。
男よろこび、鼻血出す。
鼻血がでたわ、まあ大変。
病院いきましょ、今すぐに。
死んだはずだよ、おトミさん。
生きていたとは、お釈迦様も知らぬ仏のお富さん。

悟りを開いたブッダですらお富さんが生きていたとは知らないのである!!
恐るべしお富さん!!

杭ではなく、もしお富さんがニョキッと出ていたとしたら、死んだと思われていたが
実は生きていたほど打たれ強いお富さんを、わたしには打ち込む勇気はない。

わたしたち凡人は、そんな打たれ強いお富さんにはなれない。
わたしたちは、常に打たれる怖れを抱える、ただの杭でしかない。

だから、杭は杭なりに、戦略を持つべきである。

わたしたち杭は、飛び出る工事現場(場所)を考えるべきなのだ。

大金槌を振り下ろす施工主は、「社会」・「組織」といった、「集団」の場合もあれば
「常識」や「しがらみ」といった目に見えないものの場合も有る。

時に、「友人関係」であったり、「家族」の場合もあるかもしれない。

わたしたち杭は、そんな施工主が打つことをためらうような工事現場を選ぶべきなのだ。
もしくは、施工主に打たれたとしても、ひるまず、凹まないような現場で飛び出るべきなのだ。

ーーー

とある工事現場に一列に綺麗に並ぶ杭があり、その一つがあなたである。

その中で、もしあなただけ「えいっ」と頭ひとつ飛び出たとする。

他の杭は、そんなあなたを発見し、施工主に告げる
「親方!あいつ、せっかく親方が綺麗に打ち込んだのに、出ようとしてまっせ!」
と、飛び出ようとするあなたを非難し、施工主に打ち付けて元に戻すように言い
妨害するかもしれない。

もしくは、綺麗に一列に並ぶ杭の中で、あなたがえいっと飛び抜けてみても
他の杭たちは、しれーっと微動だにしないのを見て、まだ施工主に打ち付けられていないのに
「し〜つれいしますた〜…」とでも言いながら、あなたはお尻ふりふり、また土の中に
潜って、何事もなかったかのように、澄まし顔で綺麗に並びなおすかもしれない。

このような現場では、綺麗に並ぶ杭の中で、そのひとつの杭であるあなたが
ひとり飛び抜けるのは、非常に難しいだろう。

だって、施工主は、せっかく綺麗に打ち付けた杭のひとつが勝手に飛び出ていたら
仕事が進まないのだから。

他の杭たちだって、あなたが頭ひとつ飛び抜けることで、あなたに上から見下される
ような感覚になったり、あなたのように飛び出す勇気のない自分を責める気持ちをあなたに
向けてしまうかもしれない。

そしてひとつの杭であるあなたも、施工主に怯まず、他の杭たちからの非難や、冷ややかな視線にも
耐えぬく、お富さんほどの強い精神力がなければ、到底ひとり飛び出すことは無理だろう。

それでは、綺麗に並べられているどころか、ぐちゃぐちゃに、あちらこちらと好き勝手な場所に
ささっている杭たちがいる工事現場はどうだろう。

高さもまちまちで、メーカーもてんでばらばら。その杭たちは、ぴょこんと飛び出たり、土に潜ったり、
「きゃっきゃっ」と自由奔放でとっちらかった現場である。

そんなあなたもそんな杭たちの一員である。

あなたが「えいっ」とぴょこんと飛び出てみても、なんら目立つことはないし、あなたの勇気を見た
他の杭たちから「ブラボーーー!!」という拍手喝さいを浴びるかもしれない。

また、施工主が、飛び出たあなたを打ちつけようとした時は、他の杭たちから、やいのやいのと
大ブーイングが巻き起こるかもしれない。

「このー!ひとでなし!!」
「そうだー!打たれる方の身にもなってみろーー!!」

と言う杭たちからの寄ってたかってのブーイングにより、施工主はさじを…ならぬ大金槌を投げ、
その工事現場を放り出して何処かへ行ってしまうかもしれない。

杭である私たちは、身を置く工事現場、すなわち、コミュニティを選ぶべきなのだ。

そして、自分にふさわしいコミュニティに身を置くかによって、あなた自身が大きなためらいもなく
飛び出ることができたり、他のひとたちの飛び出す勇気や取組みを自分のことのように応援し、
また自分を応援してくれるひとたちに出会えるのである。

出る杭が打たれるのは当たり前。
杭であるわたしたちこそが、出る場所を自ら選ばなければならないのだ。

ーーー
唐突に私事で恐縮だが、わたしは本当に人間関係に恵まれていると自負している。

家族を初め、友人、現在、そして過去の職場においても、
時に例外はあるものの、多くの心優しく素敵な人々に支えられて生きてきた。

「周りに良いひとが集まるのは、あなたが良いひとだからだよ」

なんて月並みな表現をよく聞くが、わたしの場合そうは思わなくて、
わたしの欠けている部分を補うように、素敵なひとがわさーっと集まって
きて、寄ってたかって、わたしのマイナスをこれでもかと埋めてくれているような気がするのだ。

周りが素敵なひとであるという恵まれた事実が、皮肉にも自分の情けなさや
至らなさを浮き彫りにし、それで自分を好きになれない時期が長く続いたのも事実ではあるが。
なんとも贅沢なはなしである。

そして、現在は、新たな工事現場で、自由奔放で素敵な杭たちに出会っている。

わたしはそのうちのひとつの杭として、「オモシロ美人」について研究を続けているが
他の杭たちも、思い思いに、自分の使命を追求している。

ある杭は、「アート」だったり、ある杭は、「インターネット」であったり、「パートナーシップ」であったり「健康」であったり、「美」であったり、「人間の身体」であったり、「マーケティング」であったり、「楽しむこと」であったり、そして何より「自分自身」であったり。

そんなわたしたち杭を束ねる、さらに大きな杭がいて、自由奔放にぴょこぴょこ飛び出る杭たちを
見守り、迷う時にはいくつかの選択肢を提示してくれたり、飛び出る時に一緒に掛け声をかけてくれたりする。

わたしたち杭のメーカーはバラバラ。大小さまざま。
でも、とてものびのびとした心地よい現場である。


ここには、杭たちを打とうとする施工主なんて最初からいない。

だから、それぞれが、自分の好きな時に、好きな高さで飛び出ることができるのだ。


もし、今、あなた自身が、もっと自分を追求し、自分らしく生きたいのに、

周りの目や、常識によって、それがままならない時には、
あなたに合うコミュニティを新たに見つけ出し、そこに身を置いてみよう。

出る杭は絶対に打たれて然るべき社会なので、出る勇気がないあなたが悪いのでもなく
あなたを打つ社会が悪いのでも、出ようとするあなたを揶揄する周りが悪いわけでもない。

そこで途方もなく苦しむのであれば、自分らしくいられる現場を求めて
顔を出してみよう。

非常にストイックに目標を定めて杭たちみんなで向上していこうというエネルギッシュな現場
もあれば、女性特有の華やかで、共感しつつもお互いの頑張りに刺激をもらえる現場もあろう。

また、様々なものにがんじがらめにされている自分を解放することを目的として、とにかく面白い

経験をしてみようという現場もある。

多種多様だ。

あなたが杭としてためらいなく飛び出ることができ、かつ打たれない現場、
もしくはたとえ打たれても、周りのエールや頑張りによって
踏ん張ることのできる現場を選べば良いだけなのである。

自分で自分の武器を生かすことのできる環境に身を置き、
施工主がお手上げ状態になる程、思う存分、やりたいように、飛び出ていこう。
一度きりの人生なのだから、一度きりのあなたという「杭」を全うしようではないか。

…まぁ、とは言っても、施工主の振り下ろす大金槌にもびくともしないお富さんのような
強靭な精神力をもっているようならば、今いる現場で飛び出てみるのも良いかもしれないが。
何せ、お釈迦様すらも死んだと思っていたお富さんなのだから。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
出る杭は打たれて当たり前。杭なりに出られる現場を自ら選ぼう。

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[ 「出る杭は打たれる」ことでしょう。 ]オモシロ美人メソッド2016/03/30 01:45