「大嫌い」の作法。

phonto-9-2ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

今回は残念ながら前置きはない。
わたしは潔く、単刀を直入してゆく覚悟である。


以前の記事「『大好き』は生きる源」で、わたしの「大好き」をお伝えしたので
諸君も気になっていただろう、今回はわたしの「大嫌い」をお伝えしようかと思う。

とは言っても、わたしは生まれつきの博愛主義で、この世に存在する万物を愛し、
慈しみ、ひとの痛みを自分のことのように常に考えている。

そんな仏のようなわたしは、あの動物をこよなく愛するムツゴロウさんの一歩先を行く存在ということで
「ゴツゴロウ」と呼ばれて久しい。

「おいどんはゴツゴロウでごわす!」

元気いっぱいのゴツゴロウの好物は、どんぶりいっぱいの白飯と、辛子明太子である。

従って、「ゴツゴロウ」であるわたしが嫌うものなどこの世には存在しないのだが
この世知辛い世の中、少しは「毒」を持っていないとどうにも生き辛いようだ。

八方美人では嫌われてしまうというわけで、わたしは泣く泣く嫌いなものを絞り出してみようと思う。

わたしは、「風」が大嫌いだ。
「風」というやつは本当になんなのかと思う。
「風」ってなんのためにあるのだ。

いきなり目の前に現れたかと思えば、ひとの髪をまるでメデューサになったかのごとく
ぐしゃーーっとボサボサにして、茫然自失のわたしにととどめと言わんばかりに
「えいっ」と目をめがけて砂を投げつけてくる。正真正銘のいじめっこだ。

冬の「木枯らし」はただでさえ乾燥肌のわたしの肌から貴重な水分を奪い去り、
「春一番」は花粉症のわたしに花粉をお見舞いしてくる。

本当、「風」には懲り懲りである。
風さえなければ、あの恋を失うこともなかったし、あの志望校にも合格していただろうし、
あの第一志望の企業にも内定をもらえ、あのひとと今ごろ幸せな家庭を築いていただろう。きっと。

「風」によってわたしの人生は狂わされたのだ!!
わたしの今年の目標は「風」に「ぎゃふん」と言わせることである。

…でも…もし…「風」がなかったら…。

植物は子孫を残すために、その種子を「風」にたくす。
クリーンエネルギーの必要性が叫ばれる中、その代表格である「風力発電」に欠かせないのは「風」
野原でウトウトと昼寝をするわたしの頬を「そよ風」が優しくなで
水平線に沈む夕日を眺めながら「夕凪」に包まれて、もう二度と戻らないあの恋に思いを馳せる。

そして、生意気な後輩には「あんぱん買ってこい。粒じゃ承知しないぞ。こしあんだからな。」と
「先輩風」を吹かせ、
何より、元寇の折、「神風」が、日本を元から守ったと言われているではないか!

「風」によって日本が守られ、わたしたちが日本人として誇りを持って
現代ニッポンを生きることができるのも
「風」のおかげと言っても過言ではない。

もし「神風」が吹かなかったら、フビライ・ハン率いる元軍に攻め込まれ
歴史が大きく変わってしまったかもしれない。

そして、フビライ・ハンに敬意を表し、「エビフライ飯」なるご当地名物料理が
名古屋あたりで食されていた可能性大だ。
…エビフライ飯。それはそれで美味しそうではないか。
タルタルソースでお願いしたいが、ソースも捨て難いところだ。

というわけで、わたしは「風」が嫌いである。
「風」が吹くと憂鬱だし、これからも「風」に苛立ち続けることだろう。

しかしながら、「風」にも「風」の事情があって、「風」は「風」として
その役割を全うしているだけなのだと思うと、わたしの「風」への憎しみが少し緩和されてくるのだ。

わたしは「風」の悪い面ばかりをクローズアップして、暑い夏の日に風鈴の音を涼やかに響かせてくれるのも
「風」であることをすっかり忘れてしまっていることに気づかされる。

「風」の嫌な面を知ってしまっている以上、引き続き「風」のことは好きになれそうにないが
嫌いながらも「風」のことを認める努力をしようと思う。

「風」には「風」の思うところがある。
「風」なりの価値観がある。
「風」にだって好きなひとがいて、友達がいて、家族だっている。
「たいふういっか」というじゃないか。
そして、わたしの大嫌いな「風」の存在を必要としているひとがいるのだ。

「風」のことを考え始めるとその「嫌いなところ」が口から止まることなく溢れてくるが

「風は風。わたしはわたし。」

と、一旦、好き嫌いから離れたところで「風」を認めてみることで

目の前にどんなに風が吹こうとも、以前に比べ、そこまで心の波風が立たないことに気がつく。

諸君にも嫌いなものがあると思う。

嫌いは嫌いのままで良い。なぜなら嫌いがわかるから、あなたの好きがより際立つからだ。
しかしながら、好きにはどんどんのめり込み、好きの嵐に自ら巻き込まれる一方、
嫌いとは適度な距離感を保ち、自分の心を嫌いの嵐に巻き込まれないように避難させよう。

問題はいつも「風の中」ではなく、「自分の中」にうまれるのだから。

なんだか柄にもなく月並みなことを述べてしまったわたしは居ても立っても居られないほどに
気恥ずかしいので
ここでもって唐突に

風と共に去りぬ。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉
嫌うの上等!しかしながら「嫌って認める」ことで心の波風を静めたまえ。

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[ 「大嫌い」の作法。 ]オモシロ美人哲学。2016/03/03 23:56