CHOICEの苦楽②。

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こんにちは。
Chacoです。

前回、「CHOICEの苦楽」に続いて、「選択するということ」についてわたしの思うことを書き記していこうと思う。
 
選択。

わたしたちは、日々、意識するしないにかかわらず、好むと好まざるとにかかわらず、「選択」を強いられて生活をしている。

「取捨選択」という言葉があるように、わたしたちが「選択」という行為をする際には、なにかを「取り」、なにかを「捨てる」という作業が行われている。

そう。選ばなかったなにかは「捨てなければならい」。

だからこそ、わたしたちは悩むのだ。

そしてその選択肢のなかに、「捨てて当然」と思えるようなものがあれば、悩むまでもなく、他の選択肢を選び取るだろう。選ぶという感覚もないほどに手に取っているかもしれない。

そう。わたしたちは、用意された選択肢が魅力的なもの、各々が違った可能性を感じさせるもの、そういった選択肢と直面した時に、大いに悩み、苦しみ、時に、愉しむのだ。

先日、わたしは旧来の友人たちとの語らいのために、おしゃれなカフェに赴いた。

入り口のショーケースには、ホールで、色とりどりの10種類以上のケーキが「これでもか!」というほどきらびやかな魅力を放ちながら並べられている。

もう、本当に困るのだ。

わたしはこういう場面に出くわすと、ぐだぐだと悩み、さっさと選べない自分に毎度嫌気がさすといったことを繰り返してきた。

ケーキを食べることは決めていた。

ケーキを「食べる」もしくは「食べない」という「選択」はわたしの中には全くもって存在しなかった。

存在していたのかもしれないが、ひとつの選択肢が、他を圧倒的に凌駕するような魅力やメリットをはらんでいるならば、無意識のうちに「選択」していたとしても、自らの記憶には「選択した」という記録はされないのだろう。

「食べない」という選択肢は、知らぬうちに抹消され、わたしの目の触れないどこかへ追いやられたということだ。「食べない」よ。いずこへ・・・。

そして、季節はまさに秋。

そこのカフェでは、
マロンづくし。
マロン祭り。
マロンフェスタ。
マロンカーニバルであった。
 
なんと、10種類あるうちの5種類はマロンにまつわるケーキが占めていたのだ。

いくら、季節柄とはいえ、ケーキ制作担当の執念が感じられた。

マロンをメインに5種類ってすごくないだろうか。

・マロンパイ
・マロングラッセケーキ
・和栗のタルト
・マロンケーキ
・カスタードマロンケーキ
・マロンチョコレートケーキ

というラインアップであった。
 
マロン×ケーキ
マロン×タルト
マロン×パイ
マロン×カスタード
マロン×チョコレート

マロンなんて、モンブランとしか頭になかったわたしであるが、こんな掛け算が可能であるということか。

そして、ここで変わり種の、「和栗」という存在も忘れてはいけない。
同じマロンにもかかわらず、「和栗」と表現することで、一気に格式が高くなり、しっとり感が増す。
大人なマロン。いわゆるオトナマロンってやつだ(いわゆるってなんだ)

マロンひとつで、ここまで応用が利くものかと、ショウケースの前でマロンの実力に驚愕し、マロンの底知れぬ可能性を思い知ったわたしであった。
 
皆も、ブナ科クリ属の「マロン」を侮るなかれ。

しかしながら、わたしはその日は「マロン」の気分ではなかったため、わたしの10個の選択肢から、マロン関連の選択肢5個が一気に消え去ったのには救われた。

ここまで、マロンについて相当語ってきてなんだが、マロンの登場はこれにて終了である。

マロンもここまで期待をもたせて「なんだよ!」と上島竜兵のごとく、キャップを地面になげつけているかもしれない。マロンよ、かたじけない。

マロンの気分じゃなくて本当によかった。
逆にマロンにとことんこだわってくれてありがとう商品開発担当者よ!

そんな竜ちゃんマロンの怒りもどこ吹く風。頭の中からマロンは一掃されてすっきりしたわたしは、残された選択肢で悩む。

候補として有力なのは、「ミルクレープ」、「レアチーズケーキ」、「フレッシュフルーツケーキ」である。

ミルクレープのあの幾重にも折り重なった薄いクレープとフルーツの織りなす芸術に舌鼓を打つもよし、レアチーズケーキのクリームチーズの濃厚さと、鼻からすっと抜けるような爽やかなレモンの酸味のハーモニーをさっぱりと楽しむのもよし、王道ではあるが、生クリーム、フルーツ、柔らかいスポンジケーキ、それぞれの魅力が三位一体となり、口の中で彼らがまるでワルツを踊るかのようなにぎやかな融合を楽しむもよし。
 

選べない!!


そう。選べないのだ。

全部素敵だもの。
全部絶対美味しいもの。

選択肢が魅力的というのは、恵まれているようで、時に、このような苦しみをもたらすのだ。

あまりに選べないわたし。
窮地に立たされたわたしは、ショーケースの前に立ち、静かに目をつぶった。

それぞれのケーキがわたしの口の中に入り、それによってわたしの口の中はどのように彼らを迎え入れ、わたしの味覚中枢はどのように反応するのかをイメージトレーニングし始めたのだ。

おそらく、ショーケースの反対側に立つ店員の人は、わたしが急に目をつぶり、どこか意識が遠のいてる感じを察知し、「大丈夫かこのひと」と怪訝そうな顔をしてわたしを見ていたことだろう。

もしくは、わたしが宇宙と交信を始めたと思ったかもしれない。


「オウサマ、コノアオイワクセイニハ、ワレワレノホシニハナイマルイモノ、ガソンザイシマス。ミンナコゾッテホシガルカラ、モシカシタラヒミツヘイキカモシレナイノデ、ワタシガマズハチョウサシマスネ。」

などと交信し、どこかの惑星の王様が地球の偵察のために差し向けた宇宙人のスパイであると勘づいたかもしれない。

ひとしきり、宇宙との交信・・・否、イメトレを済ませたわたし。

目を開いて、改めてケーキを眺めるも、・・・やはり、びしっと決められなかった。


全てが全てにおいて、素晴らしい。

みんな違ってみんないい。


できることなら、全てのケーキを少しづつ食べたい。

・・・でも、ひとつのケーキを大きく豪快に食べたい気もする。「わたしはひとつをちゃんと選びぬいたのだぞ!」という決断を下した自分への自尊心の高まりを感じながら。

女性は、本当にわがままなのだ。(わたしか?)

わたしは、結局、以前も食べたことのある、ミルクレープにした。

人生においては、どちらかというと、自分自身、冒険に走るタイプに感じているのだが、どうにも、普段の食べ物や細々した選択においては、無難なものに走りがちなわたしである。大戸屋でも悩んだ挙句結局いつも、「鶏と野菜の黒酢あん定食」を注文してしまう。

そして、ミルクレープ。やはり、想像通りの安定した美味しさだった。

きっと、レアチーズも、フルーツケーキだって、美味しかっただろう。

悩むほどの魅力的な選択肢が目の前に並べられた時。一瞬嬉々とした華やいだ気分になる。

しかしながら、それもつかの間。魅力的な選択肢ほど、大いに悩み苦しむ。少しでも自分にとって、その選択肢がうまく活きるだろう選択をしたいと思う。

当然だ。

できることなら、どちらも選びたい。全部選びたい。

でもそれは無理な相談。(多くの場合)

そして、悩んだ挙句何かを選ぶ。でも選んだ後、

「こっちを選んで良かった」

と思う反面、

「もしあっちを選んでいたらどうだったのだろう」

と、その選択への満足不満足にかかわらず必ず想像するのが人間だ。

でも、思う。

その選択が、もしかしたら不満足に終わったとしても、今後続いていく長い人生において、どこかで、意識するしないにかかわらず、その不満足の経験は必ずや自分の人生に影響を及ぼしている。

というか、その不満足という名の経験は、1ミクロにも満たないほどかもしれないが、今後のあなたを作っていくひとつの要素となる。

だから、美味しかった美味しくなかったの、目先の喜怒哀楽で自分の「選択」について評価してしまいがちなわたしたちだが、たとえその選択は満足いかないものだったしても、過去から現在におけるひとつひとつの経験や、選択によって、現在そして未来のわたしたちが形作られていると考えると、そんなケーキを選び取る作業だって、結果いかんにかかわらず自分にとって非常にいとおしく、崇高な行動であると思えてこないだろうか。

大小、成否にかかわらず、日々の「選択」がわたしたちを形作る。


ちょっと飛躍しすぎて、伝えるのが難しいが、わたしが伝えたいのは、「しっかり考えて選択しましょう!」ではなくて、どちらを選んでも、目先の喜怒哀楽に惑わされず、

「あぁ!もしまずいケーキを選んだとしても、未来のわたしを形作るひとつの要素なのだ!」

ぐらいに思ってみると、そこに「美味しい美味しくない」以上の価値を見出すことができるので、少しだけ悩む時間が短縮されるかもしれない。

また、選択内容に意味があるわけではなく、その選択という行為こそ、未来の自分を作っていくひとつの要素なのだ、と考えることによって、ひとつの選択が及ぼす、自分では到底想像し得ない未来への軌跡に思いを馳せることができる。そうすると、ミルクレープだろうが、レアチーズだろうが、なんならマロンであろうが、なんでも良いと思えるかもしれない。(思えないか)

かくいう今、わたしは、コーヒーではなく、ほうじ茶を飲んでいるが、このほうじ茶を飲んでいることが、未来のわたしを彩るひとつの要素といえよう。

もしかしたら、コーヒーを飲まずにほうじ茶を飲んだことが、今は気がつかなくても、大きく人生を変える分岐点の始まりに突入しているのかもしれないのだ。

そう考えると、ドキドキするではないか!

そうやって、わたしたちは大小様々な選択によって、人生が創られていく。

一見大きな決断が人生を変えていると思うかもしれないが、案外、日々の小さな選択があなたの人生の大筋を描いている可能性だってある。

そう考えると、自分の今までの多くの人との出会い、悲喜こもごも様々な経験、それらが今のわたしたちを創ってくれたことを痛感し、なんとも言えない感情に苛まれ、胸がいっぱいになる。

自分は自分でありながら、自分はみんなで、全てなのだ。

というわけで、

過去に感謝。
現在に感動。
未来に乾杯。

そんな思いで日々様々な選択を重ねていこうと思うわたしであった。

というわけで、何が言いたいかというと、・・・ミルクレープは美味しかったということである。

p.s.どなたか大戸屋のおすすめメニューと、Herbsのおすすめケーキを教えてくれませんか。マロン以外で。

 

 

 

[ CHOICEの苦楽②。 ]オモシロ美人のよもやま話2016/10/24 17:27