チャンスの神様の前髪の件。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

わたしは今、大きな憤りを感じている。

それは「チャンスの神様」についてである。

よく、「チャンスの神様には前髪しかない」という。
この表現は、好機が訪れた際はぼやぼやしていないで、
そのチャンスを素早く掴みに行かないと、掴み損ねてしまう
といった意味のようだ。

わたしはこの表現を軽々しく使用する人々に対して憤っているのである。

と、わたしの怒りに触れる前に、まず、諸君も気になっているだろう
チャンスの神様には前髪しかないという不自然さについては
一応触れておきたい。

なんでも、このチャンスの神様にはモデルがいるようで、ギリシア神話に出てくる
「カイロス」という神のことを指しているらしい。

カイロスの風貌の特徴として、頭髪が挙げられる。後代での彼の彫像は、
前髪は長いが後頭部が禿げた美少年として表されており、「チャンスの神は前髪しかない」とは
「好機はすぐに捉えなければ後から捉えることは出来ない」という意味だが、
この諺はこの神に由来するものであると思われる。
(wikipedia)

なんと、
前髪が長く、後頭部は禿げているが、美少年
らしい。

もう、大混乱である。

前からやたらと前髪が長いひとがやって来て、「前髪やけに長いなー」
と不審に思いながらも、近くでよく見ると目を見張るような美少年で、
気になってすれ違ってから後ろを振り返ると、まさかの後頭部は禿げているというのだ。

一体どういうことだ。

これは、「ヤンキー夫婦の子供のえりあしはたいがい長い」という都市伝説にも似た

親の趣味を子供に押し付けたパターンか。
長いのはえりあしではなく前髪バージョンというわけか。

いい加減にしてほしい。
もうこれ以上親の価値観を子供に押し付けるのは。

これが、まだその子供が前髪が長いながらも後頭部が禿げているという
事実に見合った顔面を持っていたら、それをネタに芸人などにでもなって
人々を笑いへいざなうという道を歩めたかもしれないが、なまじっか
そのような頭部を持ちながらも美少年というのだから、やるせない。

本人も見る方も、表しようのない違和感によって、終始気まずい空気に包まれることだろう。

そんな何とも不憫な神様の、前髪を掴む…。

なんという神への冒涜なのか!!
この罰当たりめ!!

あなたも道を歩いていたら、突然前から来た人物に突然「むんず」と前髪を掴まれたら
どう思うか。考えてみてほしい。

驚き、恐怖に怯え、体は硬直するだろう。

チャンスをものにするために、そんな哀れな神様の髪の毛を持って引きずり回し
地面にひれ伏す神様の前髪を掴み、顔を持ち上げ、
「ようよう、神様よぉ。どうかわたしにチャンスをくださいませんかねぇ〜」
などと、ニヤニヤしながらカラースーツに身を包んだチンピラのごとく、
神に無理やりチャンスを与えるように脅そうというのか。

いろいろな意味においてその神が気の毒でたまらない。
涙が出てくる。

そうではない。
やはり神は尊敬し、崇めなければならない。

ひざまずき、酒やご馳走を用意して、そうだ。好みの女もはべらしてやるのだ。
酒池肉林。飲めや歌えや大騒ぎ。神もたいそうご満悦である。

きっと、そのひとときは後頭部のことは忘れて上機嫌になった神は
気前よく、チャンスを与えてくれるにちがいない。

…しかしながら、わたしの経験と照らし合わせると、チャンスの神様に
遭遇した際は、前髪を乱暴に掴むでもなく、酒池肉林でご機嫌取りをするでもなく、
ただ、笑顔で握手をするために、手を差し出してみる。という表現がしっくりくるのだ。

ーーーー

わたしは、新卒で、とある運輸会社に営業事務として入社した。
人間関係にも恵まれ、実家暮らしだったため、決して高い給料とは言えなかったが
特に大きな不満もなく、日々業務に励んでいた。

しかしながら、「このまま誰かと結婚して、子供を産んで、わたしの人生は過ぎていくのか…」
と想像した時に、「わたしの人生、果たしてそれで満足なのか?」という疑問が生まれた。
そして、このままでは終わりたくない。一花咲かせたい。と思い、旅行が好きであったことや
空港が好きであったこと、加えて、なんとなくの憧れが相まって、「客室乗務員」を
目指し始める。

フルタイムで仕事をしながら、終業後に航空業界受験のためのスクールに通って面接対策や
立ち居振る舞いなどを学んだ。

そして、中途採用の募集が出れば、応募をして受験をした。

仕事をしながらの転職活動はなかなかハードではあったが、どうしても夢を叶えたかったために
苦には感じなかった。
不合格の連続で、そのたびに落胆したが、また新しい募集が出れば性懲りも無くエントリーシートを
必死で埋める自分がいた。

そして、とある航空会社の2次試験、英語面接で不合格だった時に、わたしはある決断をする。
「やはり英語力を身につけなければだめだ。半年後に会社を辞めて海外に行こう。」と。

そして、半年後、実際に会社を辞めて、ワーキングホリデービザでカナダに渡り、1年間滞在した。

3か月ほど、語学学校に通い、残りはカフェでアルバイトをして、英語力向上に勤しんだ…かどうかは
実際あやしく、ただ普通に生活してたら、あっという間に過ぎた一年であった。

帰ってきたわたしは、またも懲りずに、ホテルとテレフォンオペレーターのアルバイトを掛け持ちしながら
客室乗務員の試験を受け続けた。まぁよく周りも根気よく見守ってくれたものである。

そして、わたしは「チャンスがきた!」と思ったのである。

なんと、憧れていたが、何年も既卒の採用をしていなかった航空会社が、中途採用の
募集を出したのだった!

「わたしが今まで不合格だったのも、1年海外に行ったのも、この募集で合格するためだったんだ!」
と、決定的な運命を感じ、これが最後という思いを込めて応募した。
その大本命の会社と並行して、他の会社も受験したが、もはや心ここにあらずである。

もう、その第一志望の会社に合格することしか頭になく、その会社の制服を着て仕事に励む
自分自身を想像し、ムフフとひとり妄想の世界の住人となっていた。

そんな中、その会社からの2次選考結果を待っている間に、並行して受験した航空会社から
合格通知が速達で届いた。
この航空会社は、奇しくもわたしが以前受験をして、不合格となり、カナダ行きを決意させた航空会社である。

当時であれば、その合格通知を受け取ったわたしは泣いて喜んだであろう。
しかしながら、わたしの心はもう、当該の大本命の航空会社のCAであったから、嬉しいという気持ちがなかったわけでもないが、そこまで大きな感動があったわけではなかった。

そして、本命の航空会社から結果が届く。
…不合格。

片足はもうその本命の会社に突っ込んでいたものだから、拍子抜けである。

わたしの感じたあの運命はなんだったのだ!!と。
2年間その会社に入るために頑張ってきたのだと信じて疑わなかったわたしに
こうもあっさり引導を渡してくるのか。

数日は呆然とし、自身の直感力の乏しさに途方に暮れた。

というわけで、最終的には、そんな浮気者のわたしに合格通知をよこしてくれた
航空会社に入社することに決め、約2年に渡ったわたしの航空会社への転職活動は
幕を降ろしたわけである。

ことわっておくが、今となっては本当に、その航空会社に入社して良かったと思っているし、
一生の友人にも出会えて、そこでの経験はわたしのかけがえのない財産になっている。

ただ、この経験もそうだし、他の今までの様々な巡り合わせに思いをはせると
実際、こう感じる。

「チャンス」というのは、そうそう目に見えて、わかりやすく現れるものではない、と。

直感力や、ひらめきといった言葉をよく耳にするようになって久しいが
わたし自身、よく聞く「ピンときた!」という感覚がよくわからない。

なにせ「ピン!と運命を感じた!」と思った航空会社に見事振られたのだから。

それでも自分が入社した航空会社との巡り合わせもそうだし、ひととの出会いもそうだし、
何を隠そう、このような変態チックなブログを書いて、多くのひとに読んでもらっていることも
2ヶ月前のわたしには、全く予想だにしていなかったことであって、人生よくわからないと
痛感する今日この頃だ。

ここに至るまで、何か大きな衝動があったわけでもなく、正直、ただなんとなく
選んで、その場に赴いて、経験して…というのを繰り返してきただけのような気がするのだ。

そして、今思い返せば、あの時のあの選択が今に繋がったんだな、とわかるが
その時の自分はまさかそれがチャンスだとは思っていない。

そう。チャンスって、結果論。
後からわかるものなのではないかと思うのだ。

そして、そう考えると、今、「現在」に身を置くわたしにとって、
目の前に現れるもの全てが「チャンス」
であると思うのだ。

というのも、自分が「これが正解だ」と思って選んで、結果不正解だと感じたとしても
わたしの中でその経験が肥やしとなり、後の選択に少なからず影響を与えているはずなのだ。
自分が自覚しているもの、そうでないもの全て。

朝食べたおにぎりの具が鮭ではなく、たらこだったら…
一本後の電車に乗っていたら…
カフェミストではなく、ソイラテを注文していたら…
そんなあまりに小さな選択も全て。

それらの日々の小さな選択の積み重ねで、今のわたしがここにいるとしたら…
自分のこれまでの全ての経験、そして自分自身がいとおしくてたまらなくなるのである。

というわけで、チャンスは「虎視眈々」と息巻いて狙うものではなく、
「淡々」と小さな選択を積み重ね後から気がつく「結果」である、とわたしは定義づけようと思う。

だから、なかなか現れないチャンスの神様を待ち伏せして、「むんず」と乱暴に前髪を掴もうとするのではなくあなたの前に代わる代わる現れる神様に、そっと握手をするぐらいの軽い気持ちで、小さく歩み寄ってみよう。

あなたが後に振り返った時に、きっと何人かの神様はあなたを暖かい眼差しで見つめていることだろう。


ただ、その神様の後頭部に「髪」が宿っているかは、もはや誰にもわからないけれども。


◉オモシロ美人の今日のコトバ◉

チャンスの神様には、乱暴に前髪をつかむのではなく、そっと握手を求めるべし。

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[ チャンスの神様の前髪の件。 ]オモシロ美人メソッド2016/03/25 00:52