無愛想・DE・ススメ!

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

本日、わたしのお世話になっている名誉教授池田潤氏が、書籍を出版した。

その名も

「無愛想のススメ」。

恐らく、福沢諭吉を意識してのタイトルであろう。

間違いない。

なぜなら、池田氏は超難関の京大法学部に合格したにもかかわらず、世のがんばる受験生のために、在学中は法律の勉強そっちのけで、受験法を教えるブログの更新に精を出していたほどの人間だ。

せっかく京大法学部に入ったのにもかかわらず、だ。

歴史上の人物もびっくりの、まことに異端児であると言えるだろう。

そして現在は、慶應義塾を創設した福沢氏のごとく、熱心な教育者として、体ではなく、メンタルを鍛えるメンタルジムの「イケジュンジム」を運営。彼を信頼し集まるひとびとに、メンタルを鍛えることで、より自由に自分らしく生きていけるよう、日々、研究および啓発を行っている。

しかしながら、彼は急遽、方向転換をしたようだ。

なぜなら、彼はまだ20代ながらも、1万人以上の相談に乗ってきた若手No.1コーチで、現在までに既に4冊も書籍を出版しているのだが、この度はあろうことか「無愛想」を勧めているのである。

人間関係を扱う人間がまさか「無愛想」を勧めるわけがなかろう。

これはわたしの推測であるが、恐らく、いつも笑顔なひとたちより、

「わたし、表情筋が疲れて疲れて・・・。」

と相談を多数持ちかけられたり、

いつも愛想よく媚びるように揉み手をしている人たちが、常日頃の揉み手により手の皮がずるむけになり、

「皿洗いの際にしみるのが辛くて!」

と、悲痛な思いで相談を彼に持ちかけたのだろう。

「そうか…。それだったら、・・・無愛想になるしかない。」

という、彼らを救うための苦肉の策、かつ、非常にニッチなターゲットを狙った本が、「無愛想のススメ」なのだろうと思うのである。

・・・教授。どこまで、人思いなのだろう。

・・・それにしてもニッチすぎやしないか。
はたまた、そのターゲット層は、実はブルーオーシャンであるのか。

わたしはその「慢性的表情筋疲労持ち」や、「手指ずるむけ症候群」といったニッチなターゲット層にあてはまらないが、せっかくの教授の書籍であるので、読み進めたところ…。

なんという!!

表情筋が緩む、手指のずるむけ防止以外に、「無愛想」による副産物は、計り知れないことがこの書籍を読んで判明したのである!!

単刀直入に言うと、「無愛想である」ということは「自分の思いを大事にする」ということのようだ。

最近、よく聞くフレーズである。

ひとは、他人からどのように思われるか、こんなことをしたら他人からなんと言われるか、そんな様々な恐れから、わたしたちは、自分の思いとは裏腹に言動を制限してしまい、勇気を出せないことが多々ある。

また、ひとに嫌われないために、楽しくもないのに愛想笑いをしたり、行きたくない集まりにも、嫌われないがために参加することを選んでしまう。

現代では、SNSが発達し、相手によく思われたいがための「義理いいね」横行問題や、既読機能の誕生による、「既読スルー問題」が勃発し、わたしたちの生活はあの手のひらサイズのスマホに侵食され、常に一触即発の様相を呈している。

わたしたちは、現代における複雑な人間関係や社会構造において、なるべく穏便に、円満に事を運ぼうとして、常に愛想を良く対応することを、知らぬ間に、強要されているのかもしれない。

そんなわたしたちの「愛想の良さ」に対して、警鐘を鳴らし、今抱えている様々な悩みは、「無愛想」であることで解決すると、提言しているのが、池田氏のこの本である。

今までいつ何時も笑顔で、穏やかで、愛想良く生きることこそ、価値があると教えられ、そのようなひとが愛されると思い込まされ、その通りに生きてきたわたしたちには、目からウロコの話であろう。

しかしながら、池田氏は、ひとに必要以上に愛想を良くすることは、自分をないがしろにし、自分を軽く扱い、自分をナメる行為であり、そのようなひとこそ、残念ながら、他人からないがしろにされ、軽く扱われ、ナメられてしまう、と述べているのだ。

池田氏が、子供の頃の辛い経験により、常に愛想良く嫌われないために生きてきた日々から一転、様々なことに「無愛想」になって、周りがどう言おうが、己を貫き始めたことで具現化した、自分の内面の変化、そして外側、周りのひとびとの変化を、彼の経験をもとにわかりやすく解説している。

「自分の心を大切に生きる」ということを謳っている書籍は数多く出版されているし、そのことについては、わたしたちも少々聞き飽きている感はあるが、「知っている」と「やれている」では全く違うし、今もなお様々なひととの関係で悩むことがあるひとは、「知っている」けれど「やれていない」ということなのだろう。

このあたりを、他の書籍以上に、「では、実際にどうすればいいか」という具体的な「やり方」、「向き合い方」を提示してくれているのがこの「無愛想のススメ」である。

1万人以上のひとたちと向き合い、かつ、著者自身も様々な経験をしてきたからこその、誰であっても、まるで自分ごとのように共感できる豊富な例で、わかりやすく「無愛想のあり方」を教えてもらえる。

いつもひとの気持ちばかりを優先して、

場の空気を乱さないことばかりに心を砕き、

したいことがあるけれど、どう思われるかが不安で行動できない、

そんな心優しいがいつも悩みを抱えている、あなたのようなひとに、ぜひ読んでいただきたい。

そして、無愛想であれることは、ひとの無愛想をも許せるということ。

本書にも、

無愛想になるとは、多様性を認めつつも、自分は自分の人生を生きるということ

という一説があるように、誰もがまずは自分自身が無愛想になることで、ひとの無愛想、もしくは、頑張って愛想を捨てて、無愛想になろうとしているひとのことも、広い心で受け止めることができるはず。

だから、みんなの幸せのためにも、この本を読んで、まずは、わたしたちが「無愛想」になろうではないか。

そして余談だが、わたしは本を読んで特に感銘を受けた箇所をスマホで写真を撮っていつでも見返すようにしているのだが、そのうちのひとつで、過去や未来に囚われた自分を責める時に、それを手放すためのフレーズとして、

「あ、囚われた。囚われ、いらね!」

と自分で気付けばよい、と提言している箇所がある。

なんてことないわたしの感想なのだが、彼が本書やブログ等で時々繰り出す「囚われ、いらね!」などの、コミカルでお茶目な表現が、実はとても好きである。

20代で様々なことを成し遂げている文字通りの凄いひとであるのだが、「いらね!」とお茶目に言ってのけるところに、彼のまた、人間的な魅力があり、それを物語っている部分だな、と感じたまでである。

というわけで、「慢性的表情筋疲労持ち」や、激しい揉み手による「手指ずるむけ症候群」の諸君はもちろんのこと、この記事を読んで少しでも当てはまることがあるような心優しき諸君全員に、ぜひ、この本を読んでもらいたい。

そして、愛想良く生きづらそうにしている周りのひとにも、ぜひ「自分らしく生きる」ための指南書として、「無愛想のススメ」を、それこそぶっきらぼうに、差し出してあげてほしい。

ただし、そのひとの手指がずるむけの場合にのみ、愛想よく、優しく、そっと差し出してあげてくれないだろうか。

なぜなら、当たると痛いからである。

***

池田潤 著
長倉顕太 プロデュース

「無愛想のススメ」
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◉オモシロ美人の今日のコトバ◉

「無愛想のススメ」を読んで、無愛想・DE・ススメ!

[ 無愛想・DE・ススメ! ]オモシロ美人レポ2016/12/15 21:49