わたしは「美しい」。

 

今年、36歳。

 

THE・年女な私ですが、やはり、いつまでも美しく在りたいと、最近はさらに想いを強めております。

 

ただ、自分で言うのもなんですが、今の自分が一番好きです。

 

年は重ねておりますが、こう見えてそれなりに、お声をかけて頂くこともございます。。ウホ

 

白髪もちらほら。

目尻は下がり、昔はもう少し凛々しかった目元も…まぁよく言えば、柔和な印象。

お尻だって下がってきてますし。とほほ。

 

でも、今が一番好きなんだなぁ。

 

なぜかと言うと、ジャッジをしなくなってきたからだと思っています。

 

正解、不正解。

常識、非常識。

こうあるべき、こうあらざるべき。

 

これらの尺度で、人を、そして自分を、裁くことがたいぶ少なくなってきたからかも。

(まだまだ、自分裁きに関しては遠山の金さんもびっくりなほど、ですがね!)

 

だから、自分に対しても、明らかに年は重ねているものの、寛容でいられる。

 

*** 

昔お付き合いしてたひとは、わたしから、それはそれは、ものすごく手厳しいお叱りを受けていらっしゃいました笑

 

まさに、彼に対して、正解を突きつけ、常識を盾に、裁きに裁いていたなぁなんて。半生を振り返って改めて思い出したのです笑。

 

例えば、会計の時のお金の置き方が乱暴だとか、タクシーの運転手さんに対する態度が悪いとか、レストランのウェイターさんにいちいちいちゃもんつけるなとか、そして、わたしに対する態度…とかね。

 

タチが悪いのが、正論を突きつけて、相手の逃げ場を封じ込め、「してやったり」、という、実際は単なる「自己満足」だったということ。

 

相手のためだと思って、いや、思い込んで、「良いことしてやった」、ぐらいに思ってました。(あぁ本当にごめんなさい…)

 

でも、いつか、とても不思議だったので、聞いたことがあるのです。  

 

「どうして、いつも店員さんに態度が悪いの?」と。

 

そうしたら、

 

「え、そんなつもり、全然ないけど!」

 

と、とても驚いた様子で返ってきました。

 

その時は、「んなことあるかい!」と、心の中で一笑に付してましたが(本当ひどい)でも、今思うと、「本当にそうだったのかも…」とも思えてくる。

 

わたしは、接客業をやっていたのもあって、店員さんに対して、失礼な態度を取る人が、とても苦手です。

 

必要以上に愛想よくすることもないけれど、やはり、お互いを、尊重して、気持ち良い時間を過ごしたい。

 

なので、失礼な態度をとる人を見ると、ただただ、不愉快な気分になり、「ああいう人最低だ」と、心の中で即座に罰していました。  

 

昔からやたらと、正義感だけは強かったので、「弱いものいじめ」みたいなことをする横柄なひとが許せなくて。

 

(正義感やたら強い話としては、理不尽なことでいじめられたCA時代の同期を守るために、ガタイのでかい男性Crewとホテルのロビーで言い争ったり、お世話になってる先輩社員が、意味不明な理由で上司にいびられているのを、22時まで残って、先輩に何かあったら守ろう!と、ずっとそばで、先輩をいびり続けるその理不尽な上司をにらみ続けたり…(こわい)横暴な上司にもよく噛み付いたりしてたなぁ、みたいなのがあります。また機会があれば、別の機会にでも書きます笑)

 

ただ、当時の彼は、別に横柄にしているつもりではなく、いたって、ノーマルに接していたようなのです。あくまで彼なりに。(見た目には、十分、横柄にみえたのですが。)ただの、「クセ」だったみたいな。

 

結果、それでも、自分が「嫌」ならいいんです。

 

でも、改めて思うのは、やはり、自分の中の「正義」とされているものや、「正解不正解」という、無意識に近いフィルターを通して見る世界って、狭いし、とげとげしいなって。

 

だって、わたしの正義のフィルターでもって、彼を、「弱いものいじめする横暴なやつ!」って、即座に勝手に裁きをくだしてしまってたから。少なくとも、好きで付き合ってた相手なのに。

 

で、その当時はわたしも若くて推し量れなかったけれど、今、改めて、彼のキャラクターを思うと、彼は、本当に、そういうつもりはなかったのだろうと思えるのです。

 

とてつもなく素直なひとだったし、ひとにむやみに愛想を振りまくひとではなかったのと、もしかしたら、私の前だったので、かっこつけたかったのも、あったのかもなぁ…なんて。(あくまで推測ですが)

 

そんな感じで、最近は、あらゆる可能性を、判断をくださずに、保有したままでいられるようになってきた。

 

 決めつけず、押し付けず、追い詰めずに。

 

それは、ジャッジしないで、わたしの弱さや醜さも、すべてのわたしを肯定したうえで、なお、暖かい眼差しを向けてくれる多くの素晴らしい存在(そう、これを読んでくださっているあなたです)に恵まれていること。

 

ただそれだけだと思っています。そんな存在が、わたしに広い視野を授けてくれました。

 

あの時は、決めつけて、正論突きつけて、「ぐぅ」の音も出ないほどに追い込んで、本当にごめんさい!と、当時の彼に懺悔するとともに、そうやって、「人」に対して、「事象」に対して、あるいは、「自分」に対して、あらゆるものに対しての自分の反応を、「ん、これは、裁いてないかな」と、つど、丁寧に確認作業ができるようになってきた自分の成長が、ほのかに、嬉しくもあります。(今もなお絶賛成長期!)

 

それでもね、嫌なら、それはもう単なる「嫌」でしかない。

 

そこに、正解不正解もなく、単なるわたしの好き嫌い。

 

だから、決めつけることもないし、押し付けることもないし、追い詰めることもない。好き嫌いだもの。

 

彼に、自分が嫌なら、「嫌だからやめてくれると、私は嬉しいな」と、自分を主語にして、ニュートラルに、舌なめずり・・・、おっと、舌をペロリと出してみたり、上目遣いなんかしちゃったりして、(彼の大きなぶかぶかの白シャツを「わーー大きい〜」とか言いながら無邪気にはしゃいで着てみたりしてってもうなんのこっちゃ)、そうやって、自分の好みを伝えるだけ。

(なんだよねーー!!ま、それがなかなか難しいんだけどさっ。 )

となると、理不尽だった、男性Crewも、上司も、もしかしたら、わたしが当時推量れなかった、「奥行き」を保有していたのかな、なんて、今となっては思えたりもします。(うん、でも、やはり大切な同期や、優しい先輩をいじめるやつは、「嫌い」だから、許せんけどね!)

 

というわけで、半生を振り返ってたら、ふと、このことを抽出して書いてみたくなりました。最後までお読み頂き、ありがとうございます。

 

今後は、アウター(外見)ももちろんだけど、インナー(内面)の方も、あらゆる可能性(若さや老い、美しさや醜さ、清廉と汚れ)すべてを裁くことなく保有して、そんな自分を形創る「可能性」を丸ごと愛おしく思えるように、今後も精進して参ります。(何の誓いだ)。

 

それらの可能性を愛せるようになることこそが、自分を「美しい」と思えることに、他ならない。

どんどん良い女になるぞっ。押忍!

 

そして、そのために、いろいろなことに挑戦していきたいし、みなさんと情報共有をしていきたいな、って思っています。

以上。お後がよろしいようで!アデュー!(唐突に、完)

[ わたしは「美しい」。 ]ひとりごと。2017/03/07 23:52