諦める勇気。

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ご機嫌麗しゅう。
オモシロ美人研究家Chacoである。

ご無沙汰をしている。
諸君は元気であっただろうか。

わたしは、9月の電子書籍第一弾の発売からめまぐるしく過ぎていった3ヶ月間に溜まった脳と心の疲労により、誰にことわるでもなく、密かにここ数日は休息を取らせていただいていた。

わたしのブログを楽しみにしてくれていた諸君には申し訳ない思いでいっぱいだ。

と、そんなひとたちがいるかもわからないが、こう言っておくと、あわよくば「この人は世間にそんなに待ちわびられている人間なんだ!!すげえ!」とあなたに思わせることに成功するかもしれないので、おそらく3名くらいであろう待ちわびる読者数を少々水増しして、3,000名ほどが待望しているカリスマブロガー風を装って、今日はお送りしてみようと思う。

諸君も、いつ何時も、セルフイメージは高く保つように。よいか!

そして、わたしは、今日、仕事帰りにこのブログをTULLY’S COFFEEにて執筆している。

正直、スタバではないことが誠に不本意だが、通りがかりにないため、致し方のないことである。

そうなのである。

わたしは、12月より、改めて、元いた職場での勤務を再開しているのだ。

3ヶ月程、「課外オモシロ美人研究を実施したい」というわたしの強い意向と唐突なわがままを、理解ある職場の人間に認めてもらい、12月に戻る約束で休職をさせてもらっていたのである。

正直言うと、できればフリーランスを続けていたかった、というのが気持ちがなかったでもない。

可能ならば、自分の持ち得るすべての時間を自分のやりたいことに使いたいと思うのが人情であろう。

わたしもご多分にもれず、そう思っていた。

しかしながら、3ヶ月色々なことに挑戦をさせてもらって、かつ、それらを通じて得た気づきを、一旦落ち着いて自分の中で整理をし、アウトプットしたいという思いがあったのも事実であった。

この3ヶ月間は、日々大変めまぐるしかったのと、自分の心と頭がどうにも落ち着かず、腰を据えて以前のように文章を書くという気分になかなかなれなかった。

これはわたしのメンタルの弱さゆえのものなのかもしれない。
「一旦、落ち着きたい」という思いが、無意識下に常にあったように思う。

ただ、12月が近づいてきて、会社に戻る日が見えてきたわたしには正直、葛藤が生まれた。

「会社に戻るのは、逃げなのか」

という葛藤である。

「もっと、背水の陣という気持ちで、もっともっとがむしゃらに、遮二無二、暴れなければならないのだろうか・・・。」

上記のような思いと

「でもやはり、もうちょっとここいらで、一旦落ち着きたい。」

という思いが交錯した。

そして、最後の方には、疲労も相まって、そのことについて考えることすら放棄していたように思う。

電子書籍を発売するという自分の中の「挑戦」を皮切りに、フリーランスという立場だからこそ、自由な時間と自由な発想で、自ら、もしくは、周囲からの協力と声がけで、以下のような多くのことを経験できた。

・電子書籍を3冊出版
・1dayセミナー開催
・ラジオ出演
・コラボトークショー開催
・メルマガ読者向けのコンサル
・フォトセッション開始…等々。

しかしながら、「自由」でありながらも、ある意味において、常にわたしは「不自由」さを感じていたのは否めない。

会社を休職しているのだから、間違いなく自分でお金を稼がなければならない。

商品作り、それをひとに提供して、お金を頂く。

それらの行為を途切れなく、絶え間なく、続け、考えていなければならない。

当然であろう。

不器用ながらも、多くのひとのご協力をいただき、「こういうものが喜ばれるのでは」という思いで自分の商品を作り、「いかがですかー?」と人々に呼びかけたりした。

しかしながら、それだけを考え続けることが、わたしにとって言い表せないほどしんどかったのだ。

わたしのブログや電子書籍をご覧いただければ、一目瞭然だと思うのだが、わたしは基本的に、セールスも、マーケティングも考えていない。

そんな人間が、妄想だけを集めたエッセイなんて作らないだろう。

人様の役に立つ、人間の持つ5大欲求を満たせるものなど、今まで何一つ世に出せてやいない。

基本的に、すべてのものが自己満足でしかないのだ。

なので、今このブログを読んでいるひとは、わたしの自己満足にまんまと付き合わされているということである。諸君はうっかり者なのである。

そんな不器用なわたしであるから、電子書籍を出版しては、その売れ行きにドギマギし、イベントの開催ごとに、集客できるかどうか気に病み、そんな自分の不甲斐なさを痛感したりと、経験することの大いなる「喜び」とともに、様々な「苦汁」も味わった。

わたしの商品を購入してくれたひと、また、常にエールを送ってくれるひと、また、何も言わずとも優しく見守ってくれているひとには、惜しみない協力を下さった方々には本当に感謝の言葉もない。

しかしながら、そういう人たちへの感謝の気持ちを改めて表明できないほど、「なんだか疲れる・・・」という思いが付きまとった3ヶ月間だったのだ。

また、3ヶ月間、色々なことをやらせてもらった結果、自分の中の様々なものがそぎ落とされ、自分の本当の思いが浮き彫りになったことも事実である。

それは、自分が本当に望むのは、「心穏やかに、自分を表現できる状態」であることだ。

この3ヶ月間の色々な経験は、基本的にわたしが「やってみたい」と思って挑戦したことだが、「これをやったらどんな景色が見えるのだろう」という思いがベースであり、そのものを自分が「本当に欲しているのかどうか」、それを実際に体感することで自分で見極めたいという欲求からのものだったのだ。

わたしは「妄想」は得意であるが、「想像」が苦手である。

もしかしたら、普通のひとは想像して、「自分にはそれは合わない」と経験せずにわかるものも、不器用なわたしは、体感を通してでなければ納得できないのかもしれない。

というわけで、セミナーをやってみて非常に楽しかったし、読者の方にもお会いできて生の感想を頂いたりと、大変良い経験であったとは思うのだが、開催したからこそ、わたしは「セミナー講師」として生きていくのは違うな、という思いを確認することができた。

接客業に従事してきたため、愛想はいくらでも良くできるので、一見するとそうは見えないらしいが、元来人見知りなため、多くのイベントごとを開催して、多くのひとと交流することを続けるのはどうにも疲れるし、そういう柄でもないことが改めて認識できた。

ただ、コンサルは、目の前のひとと濃密に関われて、そのひとに、わたしのオモシロおかしな発想をぶつけることができ、化学反応が生まれるので、これは意外に向いているかも、とか。

そして、フォトセッションを通して、写真を撮るのがもともと好きだし、散らばったものを紡ぎ合わせて、もしくは、連続するものを切り取って、なにかの「形」にすることに喜びを感じる人間のため、写真を撮ることは、自分の中で譲れないものであることを思い知った。

そして、文章しかり、である。

色々なことに挑戦して様々なものがそぎ落とされていく中、落ち着いてブログを書けない自分に対しての苛立ちが日々大きくなっていったのだった。

その苛立ちを通じて、やはり、わたしは、人からどう思われても、たとえ自己満足に過ぎなくても、「書いていきたい」という自分の願いがはっきりとわかったのだった。

ブログで、本当に実感のある思いを、文章と自分の好きな写真とともに積み上げていくこと、それらをまとめて、「電子書籍」という形にしていくこと。

自分をオモシロおかしく表現すること。

誰がなんと言おうと、これがわたしにとっての、無上の喜びであることが、この3ヶ月の貴重な経験によって、明確になったのであった。

というわけで、わたしは、自分の本意ではないことをして、焦燥感を感じながら、がむしゃらに「お金を稼ぐ」ことを諦めることにした。

安定した心を手にいれるために、組織に所属することで、自由な「時間」を諦めることにした。

ただ、それは、自分を表現することを「諦めたくない」からである。

自分のやりたいこと。

自己満足の追求。

自分らしく自分を表現すること。

これらを諦めたくないので、不器用でスマートではないわたしは、多くのことを「諦める」ことにしたのである。

だれがなんと言おうと、これがわたしなのであり、わたしの人生なのだ。

もう、仕方がないのである。

このように不器用にしか生きられない「自分」であることに降参することにしたのだ。

色々と経験し、考え抜いた結果、ようやく「諦める勇気」を手にいれることができたのであった。

なんという回り道よ。
でも、これがわたしなのだから、しょうがない。

というか、そもそもこうやって、好き勝手文章書いて、多くのひとに読んでもらって応援してもらっている時点で、とてつもなく恵まれていることも痛感している。

・・・と、同時に、この3ヶ月の経験を通して、もうひとつ重大なことを確信した。

わたしに限らずだと思うが、自分が没頭して、「楽しい!」と思えることに取り組んでいる時ほど、なぜか、ひとが喜んでくれるのだ。

わたしがウキウキとノリノリで、ブログを書いた時に限って、思いも寄らず反響が大きいのは前からわかっていたが、フォトセッションも、そもそも相手に喜んでもらおうと思っておらず、「わたしがこのひとのこういう表情を見てみたい!」という思いでシャッターを切り、「やばい!」を連発し、ひとり楽しんで興奮しているのだが、結果、出来上がった写真は、今のところ100%喜んでいただけている。

不思議だが、そういうことなのだろう。

おそらく、「相手に喜んでもらわなきゃ」とか、「このひとのために」という力みが入ると、わたしの場合、途端に力が半減し、生まれるものにパワーが乗っていないことが往々にある。

そういえば、今までの人生においても、自分を置き去りにして、ひとの気持ちばかりを気にして、色々と取りはからった時に限って、後になってガタがきたり、相手の反応がイマイチだった時に、「こんなに頑張ったのに!なにその薄い反応は!」と、逆ギレとも言える思いを抱え、空回りすることが多かったではないか。なんて思ったのである。

というわけで、わたしは、

「自分が全力で楽しむ。そして、結果それが誰かの喜びにつながること。」

これを模索し、それを「ライフワークかつライスワーク」にできるようにすることが目下の目標となった。

時間もかかるし、もしかしたら、今世では成し得ないかもしれない。

でも、こうやって、文章を書いているそばから、楽しくて、幸せであるのだから、もういいじゃないか。

ようやく、そんな風に思えるようになったのである。

あるひとたちから見れば、「逃げ」と思われるのかもしれない。

でも、もういいさ。

現在、落ち着いて文章と向き合うことができるし、自分が最大限楽しめ、自分の持つ力をいかんなく発揮することで、何かひとの喜びに繋がることはないだろうかと、焦燥感にかられることなく、思いを巡らせることのできる「余裕」が自分にあることに、穏やかな幸福を感じているのだから。

その余裕のおかげで、「文章」×「写真」を用いて、自分も最大限楽しめ、他人も喜んでくれるかもしれない、あるアイディアが頭に浮かんできたので、わたし流の「一風変わったセルフブランディング」についてご興味のある一風変わった方は、下のメルマガ登録フォームより、登録しておくように。よいか!

未来を想像することは苦手だし、今後、どのような人生を歩んでいくかも分からないが、誰のせいにするでもなく、自分の選び取った道を、最大限に楽しむことだけを胸に、地味ながらも一歩づつ進んでいこうと思う。

そして、自分を懸命に楽しむことが、誰かの喜びになることを知ってしまったので、安心して、自分を表現することを通じて、自分を味わい尽くしていきたいと思っている。

それが単なる自己満足であろうとも。

そして、今回は、ほぼ推敲することなく、ひどい文章構成のまま、投稿しちゃおうと思う。
「笑い」もほぼないが、そんな自分があってもいいじゃないか。

ひとから高評価をもらうことも、好印象を持ってもらうことも、「諦めた」うちのひとつである。

◉オモシロ美人の今日のコトバ◉

自分であることを「諦めない覚悟」をすると、何かを「諦める勇気」を手にすることができる

 

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[ 諦める勇気。 ]オモシロ美人哲学。2016/12/05 23:53