誰かの言葉は答え合わせでしかない。

 
もう何が起こってもいいや。

傷ついてもいいや。

損してもいいや。

嫌われてもいいや。
だって、なるようにしかならないんでしょ。

きっともう、どうなるかなんて決まってるんでしょ。

 

だとしたら、自分の思いや、願いに忠実に、誠実に、生きていくしかないよね。

 

それによって起こること、すべて引き受けていこうじゃ、あーりませんか(チャーリー浜)

 

と、
思える強さが

徐々に自分に備わってきた気がする。

 

でもね。

 

そうはわかってても

そんな風に思えない

長い暗黒の日々を過ごしてきたから

  

ネガティヴな状態の時に

巷のひとびとが呼びかける

ポジティブな考え方ができない

苦しさやもどかしかも

痛いほど心に刻まれている。

 

ただ、思うのは、

その暗黒の日々が

今の自分を生みだしてくれたということ。

 

この今の楽な状態に

自分の中の平安にたどり着くまでに

それまでの経験がすべて

ひとつ残らず必要だったということ。

  

たくさんひとを傷つけたし

たくさん傷ついたし

ひとを責めたし

自分を責めた。

 

今も、もちろんそれが

全くないわけじゃないけれど。

 

でも、それら、 

ひとつひとつの経験を経て

 

多くの人の愛の力を借りて

 

巷のひとびとが声高に叫ぶ

「在り方」を、徐々に

後追いで、体得している感覚。

 

そして

頭で学ぶのではなく 

自分の体で得る以外に

意味がないとも強く感じる。

 

本を読むのもいい。

誰かの考え方に耳を傾けるのもいい。

 

いいのだけれど

 

誰かの考え方と、

今すぐ同じようにできない自分を

責めないでいい。

 

今すぐポジティブに考えられない

ポジティブに行動できない

自分を責めないでいい。

 

 

その誰かの言葉は

自分の経験を通して 体得できた時の

【答え合わせ】でしかないのだから。

 

 「もしかしたら、この感覚こそが、あの人が、言ってたのと同じこと!?」

 

と、湧き上がる体感こそが

自分の血肉となり

自分を形作る。

 

それこそが

自分だけの、答え。
 

自分で答えを導き出して

自分で感じなければ

意味はないんだ。

 

だから

今の苦しみ

今の悲しみは

のちの血肉となるために

とても大切な栄養素。

 

とことん味わおう。

とことん摂取しよう。

とことん身体中に行き渡らせよう。

 

とことん悲しんで

とことん苦しんで

とことん嫌って

とことん泣いて。

 

休んで

休んで

休ませてあげて。

 

自分の中で

細胞分裂を

進めていこう。

 

きっと人によって

その時に必要な栄養素はちがう。

 

だから

栄養をせっせと取り込んでいる自分を

責めることなく。

 

やりたいように

やらせてあげたらいい。

 

結局、それが最短なのだろう。

 

それに

今の状態で

ただでさえ辛いのに

さらにそんな自分を責めるなんて

さぞかし辛いでしょうに。

 

でも

そんな風に自分を責めることすら

のちの笑顔のための

必須栄養素

なのかもしれないけれど。

 

安心しよう。

委ねよう。

 

自分の

自分による

自分のための

壮大なストーリーを

生きようじゃあーりませんか(チャーリー浜)

[ 誰かの言葉は答え合わせでしかない。 ]自分を信じること。2017/07/13 21:27