常に自分の考えを持ちま…いえ持たなくて良いです。

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「何事にも自分の考えを持ちましょう。」
昔からよく耳にする通念です。

あらゆる問題、事柄について、
いつも何か自論を持ち、
それを発信する人って、
かっこいいですよね

 
ニュース番組のコメンテーターなんて、
いきなりアナウンサーから話題を振られて、
特にその人の専門のことではないにもかかわらず、
生放送という緊張もどこ吹く風。

堂々と落ち着いて、素早く簡潔に自分の意見を
述べることができる。
本当、脱帽します。

一方で、

私はあまり自論を持ち合わせていない人間です。

それがずっとコンプレックスでした。
もしかしたら、そういう人、結構多いのでは
ないでしょうか。

例えば、ニュース番組で衆院選や参院選の
直前の特集でたまたま聞いた与党の人間の

述べる公約に「なるほどなぁ」と思って
それを支持しようと思った矢先、
野党の人間の主張を聞けば
「それが正しいのかも」と、いとも簡単に
意見が翻ったり。

ぶれぶれ。

Facebookでも、多くのひとの様々な投稿が流れて

きますが、ある誰かの投稿を読んで、「確かに!!」
と共感していたら、そのコメント欄にそれと反する
意見を見ると
「それもそうだなぁ…」
と唸ってみたり。

最近であれば、パリで起きた同時多発テロの

犠牲者を悼む意味合いで、多くのひとが
プロフィール写真をトリコロールにした件。

私は特にやらなかったけれど、
多くのひとがそれをやっているのを見て、
東日本大震災の時、世界中の人々が

私たち日本人を憂い、支援してくれたことを
思い出し、胸が震えました。

しかしながら、ある人が、

「どうしてフランスのような大国で
こういうことが起こった時ばかり
皆はこぞって哀悼を表すのか。
毎日のようにシリアでは
内戦や自爆テロで多くの犠牲者が出ているのに
それに対してはどうして
このような行動が起きないのか。」
と発信しているのを見て、

「確かに!!何故にフランスの時ばっかり!!」

と強く共感し、
そこまで思いを巡らせることができなかった自分の

不甲斐なさを恥じたりもました。

しかしながら、その意見にも
「フランスにいる知人に

気持ちはすぐそばにあるんだよ。」
ということを端的に伝えるための手段のひとつ
であって、そこを揚げ足取りのように
突っ込むのはおかしい。
といった反論も多く寄せられ、

「確かに…。」

と思ったわけです。

もう本当、ぶれぶれ。

 
結局、この話題についての自分の意見を
固めることができませんでした。

どっちの意見もその通りだと思うし、
どっちの意見もそうではないと思う。

もっと身近な例で言うと、
誰かとどこかにご飯を食べに行く時、
「何が食べたい?」
と聞かれ、いつも返答に困ります。

正直、常に

「あぁ今◯◯が食べたい!!」

という食への欲求を持ち合わせているわけではないので、

「なんでもいい。(美味しければ)」

というのが、たいていの場合の私の考えです。

でも、デートの時に男性って
「『なんでもいい』が一番困る」ので、
無理にでも何か自分の意見を言ったほうが良いと、
ことあるごとに恋愛指南書のような本、
またはネットの記事で目にしますよね。

以前は、私ももう少し若く、素直だったので、
特に何が食べたいという希望がなくても、

「パスタが食べたいからイタリアンがいいな。」

であるとか、

「昨日揚げ物食べたから、

あっさりした和食がいいな。」

と、ない考えを絞り出し、
たいして強くも思っていない、
なんとなくの似非の「希望」を伝えていました。

でもさ、

ないもんはないんだわ。

本当になんでもいいんだわ。

最近は、開き直ってそう言えるようになりました。

だって、ないんだもの。
「意見がない」
というのが、
「私の意見」なんだもの。

何かの問題や事柄に直面した時に、
自分の意見や考えが定まらない。
二つないしそれ以上のいくつかの考えの
間を彷徨い、行ったり来たりする。

それって、わたしやあなたの中では
どうでもいいこと
なんですよね。
きっと。

こう言ってしまうと身も蓋もないけれど、
実際そうなのだと思います。

意見を確固たるひとつのものに
固める必要が、あなたにはない事柄。
ただそれだけ。

それに対して、
「自分は自分の意志を持てない人間だ。」
とか、
「どうして私はいつも考えがぶれるのだろう。」
とか、
少し前まではわたしも卑屈になっていました。

でも、それらに関しては特に

自論を持てなかったとしても、
必ず、あなたの自論が湯水のように溢れてきて
止まらない事柄が他にあるはずです。

あなたが好きなこと、ひと、もの、など。

わたしたちはそこに集中すればいいだけ。
エネルギーを、分散させる必要はない。

わたしやあなたが自論を持てない事柄に関しては
放っておいても、そこに重きを置き、
自分なりの自論を展開してくれるひとが
他にたくさんいるので、様々な意見や考えに触れ
「色々な考えがあるなぁ」
と思えばいい話。

逆に、意見がないというのは、
どちらにも執着がなく、
物事をよりニュートラルに捉えられる
というメリットもあります。
自論に固執することなく、
変化に柔軟に対応できるはず。

今回、私は何を一番伝えたかったかと言うと、

自分の感じること、
自分の意見、
そして、
自分が何も感じないこと、

それら全てが
わたし、そしてあなたにとって正解である
ということ。

「自論がない」

も、わたしたちの立派な「自論」なのです。

心に湧き上がるもの
もしくは全くわきあがらないもの、
全てを肯定していこうじゃないですか。

そして、私のこのブログの
立ち位置、テイスト、アイデンティティー

定まらねぇ~~~~
ぶれぶれ~~~~~

ま、これも私の「自論」です。

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[ 常に自分の考えを持ちま…いえ持たなくて良いです。 ]自分を信じること。2016/01/31 20:04